人類は海幸彦と山幸彦に別れる。海幸彦の僕は、基本的には、何もしないで山を見て、英語の本ばかり読んでました。@ポカラ/ネパール
バンコクから、ダッカ経由で、カトマンドゥ到着。
カトマンドゥで数日過ごし、観光名所の「カトマンドゥ」の王宮や、お寺を見て歩いた。
それから、「パタン」へは自転車で行った。
「バクタプル」は、日本とネパールの国旗が描いてあるバスで、行ったことをはっきり覚えている。
あんまりゆっくりしていると、いつまでもインドに入れない。
だから、カトマンドゥは適当に切り上げて、バスで7時間かけて、ポカラへ。
ポカラからインドへ入るルートがあると、ガイドブックにあった。
だから、カトマンドゥへは、戻るつもりはなかった。
来てみると、ポカラはただのんびりするところだという印象。
いまだと、本格的な登山やトレッキングをする人がいるのかもしれないが。
一緒のバスで来た、僕を入れた日本人4人のうち、2人はかなり本格的に、山が好きな人たちだった。
僕は、ポカラに何をしに来たかというと、ただ、ネパールに来たら、ポカラに行くものという程度のイメージをもってただけ。
ところで、ちょっと難しくなるが、ここで人類史を振り返ることを許していただきたい。
僕がメキシコシティの「人類学博物館」で見たところ、人類は、海幸彦と山幸彦の2種類に別れている。
日本の場合、海幸彦は、南太平洋から海流に乗って、やって来た民族。
山幸彦は、シベリアから、凍った海を渡って、北海道経由で来た。
山幸彦民族は、山が好きで、登山が好きで、トレッキングが好きで、飯盒炊爨が得意らしい。
海幸彦民族は、海が好きで、海岸が好きで、泳ぐのが好きで、男女関係なく裸が好きらしい。
僕は誰が考えても、海幸彦民族出身なので、べつにネパールでトレッキングをしようなどとはこれっぽっちも思わない。
山を歩くのは、苦行としか感じられない。
それなのになぜ、山岳国家ネパールの、しかも山のど真ん中に来たかというとだね、この時代の雰囲気だね。
雰囲気に流されてしまっただけ。
この時代のガイドブック「地球の歩き方」のインドを買ったら、ネパールのことも書いてあったから。
ただそれだけで、山に囲まれたポカラに来たというのも、ホント、いいかげんだなー(笑)。
そうそう、ガイドブックに、「8倍の望遠鏡で山を眺めるのがいい」という話が書いてあった。
その話に乗せられて、渋谷のヨドバシカメラで、わざわざ8倍の小型望遠鏡を買った。
それが1万円近くした。
8倍の望遠鏡では、ほとんど使わなかったし、使っても特に近く見えるわけでもなかった。
持て余してしまって、インドから帰ってきて、どこかに仕舞っていたが、いつのまにか、ネズミがどこかに持っていったらしい。
完全な損だったね。
また、ガイドブックでは、冬の北インドは寒いという話があって、寝袋のことも書いてあったのではないかな。
それで、寝袋も買って、バックパックに入れて持って行ったよ。
いま思い出したけどね。
夜は寒かったので、ゲストハウスで、寝袋にくるまって寝たこともあった。
でも、寒いときは、ゲストハウスに言って、新しく毛布をもらえばいいだけで、もともと寝袋は必要なかった。
確かに、このインド旅行では、一度だけ使ったことがある。
それは、ジャイプール駅に、午前4時ごろに着いて、朝を待つために、駅のフロアでごろ寝したとき。
これも、眠りに着く前に、リキシャーマンが寝袋に入ってる僕を起こして、ホテルへ連れて行ってくれた。
結局、寝袋は必要なかった。
僕は、このインド旅行で、ガイドブックに書いてあった、「双眼鏡」と「寝袋」に無駄にお金を使ったわけだ。
中途半端なガイドブックを買ってしまうと、間違いだらけを吹き込まれてしまって、間違った情報で、さらにお金を損することになる。
やはりガイドブックは「Lonely Planet」だよねー。
ま、それはそれとしてだね、ポカラにいて、山を見ても感動しない僕は、何をしていたかという話。
これは、単純明快、本を読んでいたんだ。
いまは、東南アジアでは、日本語の本はどこに行っても簡単に手に入る。
しかし、1984年のネパールでは、日本語の本は、ほとんどなかった。
ところが、英語のペーパーバックは、たくさんある。
で、中古本の英語の本を、安く売っていた。
そして、読み終わると、三分の一の値段で引き取ってくれるというシステムがあった。
だから、本を読むには最適の環境。
なにしろ、山の中にいるのに、山にほとんど興味がない。
気候もいいし、のんびりするには最適、というわけで、山を見て、湖を見て、飯を食って、(英語の)本を読んで過ぎしてました。
だいたいこんなもんじゃなかったのかな。
正直言うと、覚えてないんだけどね。
ただ、ポカラの本屋で買ったペーパーバックを、インドの本屋で引き取ると言われて、行ってみたらウソだったけどね。
本気で怒るような話ではない。
こういうときには、AGATHA CHRISTIEの探偵小説が、いい。
短いものを集めたアンソロジーがあったので、それを読んでいたと思う。
あと、確実に持っていたのが、JOHN TOLANDの「THE RISING SUN」だった。
このペーパーバックを読んでは、読み終わった部分を破り捨てて、薄くするのが好きだったからね。
カトマンドゥは、どうも僕の肌に合わなかった。
大都会過ぎたのかな。
ポカラは、のんびりして、静かだった。
外国人観光客だらけなので、なにかと過ごしやすいし。
適当に日本人も歩いているし、みんな暇なので(トレッキング目的の人はそれなりに動いていただろうが)、すぐ話し相手にできる。
インドから来た人もいたようだが、特に話を聞くこともなかった。
というふうに、ポカラの時間は、ゆっくりと、静かに過ぎていきました。
ある事件が起きるまでは。