ネパールのスノウリからインドのバラナシへバス移動して、ツーリストバンガローに宿を決める@バラナシ/インド
インドとの国境の町、ネパールのスノウリの殺風景な安宿で、目を覚ます。
昨日は、ポカラから細い、まがりくねった、でこぼこ道を下ってきて、まだ明るいうちにスノウリに着いた。
今日は、国境を越えて、インドへ入り、バスでバラナシへ行く予定。
スノウリからバラナシのバス料金は、ネパール側のバスと、国境のホテル代と、一緒にすでに支払っている。
それがクーポンになっているので、バラナシまでの移動については問題ない。
安宿で、荷物をチェックして、バックパックに整理して入れて、貴重品を確認して、(念のため)トイレに何回も行って、指定された時間に、国境へ向かう。
昨日一緒だった、日本人男女2人組とまた会って、挨拶を交わす。
2日目ともなると、最初から友達という雰囲気で、冗談も出る。
歩いて国境へ向かう。
まず、ネパールの出国手続き、これは、パスポートに出国スタンプを押してもらうだけ。
ネパールを出国すると、次はインドの入国。
インド入国にはビザが必要だが、それは日本のインド大使館で、取ってきている。
税関もノーチェックで、入国スタンプをポンと押して、インドに無事入国する。
国境につきものの、理由のないお金も取られず、とてもスムーズに、インドへ入った。
ここで、僕たちを乗せて、バラナシへ行くバスが、ちゃんと待っている。
時間があるので、まだやることがある。
それは、国境を越えた、海外個人旅行者が、必ずしなければならないこと。
つまり「両替」ね。
ところで、この話は、1984年のことなので、両替レートのことを書いても意味ないと思う。
そして、僕の最初のインド旅行については、離婚して、世界一周旅行をする時に、旅行の写真もノートも、捨ててしまっている。
というわけで、僕のこの旅行記「最初のインド旅行」については、細かい数字はありません。
そこはご了承の上、読んでください(どうせ30年前の話ですし)。
細かいことはあったが、問題なく、バラナシ行きの大型バスに乗り込んだ。
日本人はやはり昨日から一緒だった3人だけで、他に外国人も乗ってない。
3人は、固まって席を取る。
バスは特に問題なく、国境を離れる。
インドに入ると、バラナシまで平原を走るだけなので、ネパールの山道のように、話をしても口の中を切りそうになることもない。
だから、彼らといろいろ話をしながら、バス旅を楽しんだ。
インドを旅する場合、「なんにも信用できない」という話は、聞いていた。
だから、バラナシにいつ着くのか、それは最初から考えないことにした。
とにかく、バラナシに着きさえすれば、それでいいわけだ。
インドでは、いつ着くのか、考えるだけ精神的に悪いからね。
これは、2005年と2007年にインドを旅したときも、全く変わってなかった。
かなりの豪華バスで、ゴアからハイデラバードへ移動したときも、言われた到着予定時刻から、3時間も遅れたからね。
1984年にスノウリからバラナシへ、インドをバスで走っていたとき、面白いものに気がついた。
一つは、道路のところどころに遮断機が降りていて、そこで検問をしていたこと。
それから、道路の両側に、並木が並んでいるのだが、その木の下部が、白く塗られていたこと。
これは、多分、夜に道路をはっきりと判別するためだと、思った。
でも、インドで出会った人の話では、害虫除けだとのこと。
まあ、どうでもいい話なのですが、これから行く人は、下部を白く塗った木があるかどうか、チェックしてみてください。
バスは何事もなく、スムーズに走り、まだ日が暮れる前に、バラナシへ着いた。
着いたといっても、バスターミナルがあるわけでもなく、ただの道端だ。
ここが終点だと乗客に確認する。
さすが終点らしく、オートリキシャーが乗客の奪い合いで、バスを取り囲んでいる。
この、インドのバスが、わけのわからない道端が終点というのは、今でも変わっていない。
だから、どうしても、オートリキシャーを使わざるを得ないわけだ。
バスの屋根に載せていたバックパックを受け取り、背中に担いで、僕たち日本人3人は、相談する。
3人とも、宿をどこにするか決めていなかった。
また、着いたところが、バラナシのどこなのか、さっぱりわからない。
そこで、ガイドブックに載っていた、まともそうな宿「ツーリストバンガロー」へ行くことに決めた。
本当は、ガンガー沿いの宿の方が、景色的にもよかったのだが、だんだん暗くなる時間だし、確実なやり方をした。
インドについては、恐ろしい話をいろいろ聞いていたので、最初はとにかく、安全第一で考えたわけだ。
オートリキシャー2台に分乗して(一台にカップル、もう一台に僕)、ツーリストバンガローに到着。
もちろん予約はしてないわけだが、部屋が三つ取れた。
それも、二部屋が隣同士の一戸建てになってたね。
ツーリストバンガローは、僕と女性を隣同士の部屋に割り振ったが、僕は、遠慮して、男の子と僕の部屋を交換してあげました。
さて、無事ネパールのスノウリから国境を越えて、旅人の憧れ、インドのバラナシへ到着した。
インドのトラブル話は、ネパールでも聞いていたし、もちろん日本でも、知識として入っていた。
だから、とにかく、無事にバラナシへ到着して、安心できる宿に収まったことで、一安心。
一緒に、夕食を取ったと思うが、それはバンガローの中のレストランだったと思う。
夕食の前に、一つやることがあった。
それは、翌朝の「ガンガーモーニングツアー」の申し込みだ。
バラナシといえば、ガンガー(ガンジス川)観光が基本だからね。
これが僕のインドの最初の一日でした。
注)
僕は、1984年に、ネパールのポカラからインドのバラナシへの通しの切符を買って、問題なく移動しました。
ただ、現在(2013年)は、このやり方は一般的ではないようです。
スノウリから、インドのゴラクプールという町へバスで移動し、そこから列車で、バラナシへ行くルートが一般的だとか。
そこは、ご自分で確認ください。