11:ジュライの人

この中年男性は、よく日本で建設工事で使うベージュ色の作業着のようなものを着ている。
そういっても、もちろん普通の中年男性ではない。
わかる人はわかる、長期海外滞在者特有の怪しげな雰囲気がする。

バンダナ君にいろいろなカンボジア情報を与えている。
ついでに、自分がどれだけ東南アジアに詳しいかを吹き込んでいるようだ。
「知り合いがいるので、ここまで入ってきたんだ」と言っている。

確かにここは国際線の飛行機の待合室で、僕たちは出国審査も済ましているのだから、ただバンダナ君の見送りのためだけに入ってこれるのはちょっと変だ。
でも、「知り合いがいる」のが本当かどうかはわからない。
外国では日本で大したことと思えることがあたり前のことで、あたり前のことが不可能だという事例は多いのだから。

彼と僕はさっきちらっと目が合った時、お互いに相手を旅行者として値踏みしたのは確かだ。
世界中いたるところにうようよいる学生旅行者を除けば、日本人個人旅行者のタイプは限られていて、それによって興味の方向も、話題の内容も異なり、自分と話が合うかどうかも決定できるからだ。

そして、僕たち2人は「話が合わない」と同じ結論に達したようだ。

旅行経験の少ない人がこの文章を読んでいることも考慮して、長期旅行者には常識のことをここで書いておこう。

実は、長期旅行者には2種類ある。
長期にいろいろな国の国境を移動し続ける旅行者と、ほとんど移動せずに長期に一か所に滞在する旅行者(?)だ。

もちろん本物の旅行者は移動するもので、これには金はもちろん、精神力も使命感も必要で、簡単にできることではない。
なぜなら、旅行を始めて3か月も連続して移動していると、体力的に持たなくなる。
そこで、ある場所にとどまることになる。
そしてその場所にしばらくいると、その町にも慣れ、そこで人間関係もできてしまい、居心地が良くなる。
そうなってしまうと、そこ離れてもう一度長期旅行に旅立つのはなかなか大変な決心が必要なのだ。

バンコクやLA、ナイロビやイスタンブール、カルカッタやリマ、世界中にある旅行の起点となる町には、だから必ず日本人の集まる宿があって、そこには必ず「長期旅行に出たが長期滞在している」日本人がいるものだ。

まあ、最初にちょっとでも旅行をしていればまだいいのだが、中には日本を出て日本人宿に着いて、そのままずっとそこにいるなどという、旅行者とはとても言えない人たちも存在する。

しかしこういう連中は「旅行の話だけ」は腐るほど知っている。

通り過ぎていく旅行者から、噂話やエピソード、世界中のほかの日本人宿情報を毎日聞いているからだ。
個人で旅行を続ける旅行者よりも「旅行について」の話なら彼らの方が詳しいかもしれない。
もちろん正確さについては大きな疑問符がつくのだが。

そのうちに初めて旅行に来た人達に情報を与え始める。
すると感謝される。
嬉しくなる。

もっと情報を与えたい。
しかし、旅行経験はないので自分の体験として与える情報はない。
また旅行経験がないので、情報が確かかどうか判断する能力がない。

そこで、長期滞在者は、また聞きや本で読んだりしたいいかげんな情報に、さらに尾ひれをつけて垂れ流してしまう。
そして不確かな情報が、ほぼ確実な旅行常識としてひとり歩きを始める。

例えば、イスタンブールの日本人宿「モーラ」では、僕が訪ねていった時、「日本人はヨルダンへ陸路入国できない」という話で盛り上がっていたものだ。
僕は「できるんじゃないの」と言った。
「できないんですよ」と答える。
「でも、僕はヨルダンへ陸路で入って抜けてきたんだよ」
「それは何かの間違いですよ」

つまり、噂話がひとり歩きをはじめて、現実に生身の旅行者が目の前で「僕はヨルダンに陸路入国した」と言うのを無視しようとするほど信頼性を持ってしまうのだ。

この中年男性(彼を「ジュライ男」と呼ぼう)の話を聞いていると、なかなかもっともらしいことを言っていた。
「ミャンマーもいいよ!ただミャンマーの問題点は、200ドルの強制両替があって、ホテル代はそれとは別にドルキャッシュ払いだ。両替した金の使いみちがないんだよ」

フンフン、なかなかもっともらしい。
僕が経験したニカラグアやシリアでも、両替とは別にホテル代はドルキャッシュ払いだったのでこれは納得できる話だと思った。
しかし、1994年の1月にミャンマーへ入った旅行者の話によると、現在ミャンマー(ビルマ)ではホテル代は両替した金で払えるという。

つまり、ジュライ男は少なくとも最近の情報は持たないまま、旅行するためにかなり基本的な情報で嘘をついていることになる。

僕がこう言うと、「情況が変わったのかもしれないから、嘘というのは言い過ぎだ」と考える人もいるかもしれない。
でも、そうではない。

本当に自分で旅行していれば、情況が簡単に変化すると知っているので、「僕が行ったころは」とか「今はどうかわからないが」とかの留保条件をつけるものなんだ。

だから、僕は旅行について聞かれると、「よくわからない」と言う。

僕ほどの旅行をしていてこれだけのことが言えるのが、まあ本物というものなのだ。

以前ちょっと変わったところ(今どき中南米で自慢するんじゃないよ)へ一度旅行したというだけが売り物の、パソコン通信や旅行サークル、三流マスコミなどによくいる「旅行通」などは、話にもなんにもならないのが、よくわかるだろう。

そして、「世界旅行者」がなぜ彼らに蛇蝎のように嫌悪されるかが。

この時はジュライ男がビルマへも旅行したことがなくて、いいかげんなことを言っているとは気づかなかったので、彼からできるだけの情報を手に入れようと考えて、質問してみた。

「ところで、プノンペンからアンコールワットへはやはり飛行機ですか?いくらかかるんでしょう。陸路で行くのは無理でしょうかね」とジュライ男に聞く。
「飛行機は往復で100ドルぐらい。陸路はほとんど無理だよ」という答だ。
「アンコールワットはどうですか?大きいですか?」

ジュライ男はぐっと詰まった。
「オレがプノンペンへ行った時はアンコールワットへ行けなかったんだ」と言う。
何だって!
彼はカンボジアへ行ったのにアンコールワットを見てないんだ。

ジュライ男は、気まずくなったのか、バンダナ君にプノンペンの女の値段やマリファナをどこで買えばいいかなど、詳しく教え始めた。
これも意味のない話だ。
女の値段や場所などは現地に行ってそこで調べればいいことで、細かな情報になるほど実際の意味がない。

これは一年前に新宿歌舞伎町で遊んだ男が、田舎へ帰ってソープランドとその売れっ子の名前を教えるようなものだ。
ジュライ男がバンダナ君にしゃべっていることは、ただ自分がどんなに物知りか見栄を張っているにすぎない。

ジュライ男は最近、よほど話し相手がいなかったのだろう。
だって、最近まともな旅行者はホアランポーン鉄道駅近くの中国人街にあるジュライや楽宮といった古典的な地域から離れ初めているからだ。

僕が世界一周旅行の途中で立ち寄った時も、ジュライの前の屋台にいる日本人旅行者たちは、仲間で固まって、いつもつるんで行動をしていた。
たまたま席が一緒になって話を聞いていると、「今度アフリカへ行く」「そろそろシンガポールへ行って」「中国とインドの国境は」という一般的な話だけで、実際に「自分がどこどこへ行った時は」という話はなかった。
アフリカへ行くつもりだと話しているやつに、アフリカへいましたよと話を持っていくと、迷惑そうな顔をされて、話をそらされたものだ。

後でいろいろと情報を手に入れてみると、ジュライに泊まっているのは、実はバンコクに長期滞在して女と薬でぼけている連中が主で、旅行者は少ないのだそうだ。
彼らが旅行情報を話すのは、ただ旅行者としての体面を保つだけで、実際は初めから移動する気持ちがないらしい。

だから現在の日本人旅行者の主流も、カオサンへと向かっている。
それがなぜわかるかというと、カオサンには日本人の女の旅行者が多いからだ。
女の旅行者が多ければ男の旅行者も集まる。
これは古今東西不滅の理論なのだ。

ジュライ男が「それでは」といなくなった後で、バンダナ君に「あいつと女を買ってたんだろ?」と話を向ける。
「ええ、実は」との答だ。
とすればマリファナもやっているに違いない。
バンダナ君はまだ19歳だというのを考えて、そこでいやにバンダナ君が自信ありげなのかわかった。
初めて旅行に出て、女と薬をやって、世界観ががらっと変わって、変な自信がついてしまったのだ。

早い話が、女子高生が援助交際(売春)をして、「結局、男はSEXが好きなだけ。世の中はお金よ。遊んだ方が勝ちよ」と悟ったようなものだ。

女子高生が何かを思いこんだら、何人もそれを覆すことはできない。
なぜなら、馬鹿だからだ。

バンダナ君も女子高生並みの知能しかないようなので、この自信はもうしばらく続くだろう。
しかし、この程度の思いこみは結局はハシカのようなもので、長続きはしない。
おもしろい女子高生も、結局はみんなどの町内にもいる、魅力のない、ありふれた、退屈な、モテない女になってしまう。

本当に悟るためには、もっともっといろんな経験をして、自分の頭で考えなければいけないが、日本人はファッションで考えた振りをしているだけなので、それは無理だ

僕はそんなことを考えながら、いつの間にか、VJ114便、BRITISH AEROSPACE 146 の窓から眼下に広がるジャングルを眺めていた。

(ジュライの人)

 

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