19:女は5ドルか3ドルか

その声に、僕は「ほほー、ここにはなかなかまともな旅行者がいたか」と一瞬思った。
なぜかというと、日本人旅行者というのは特に東南アジアでは旅行初心者の学生や若者が多い。

日本人の若者というのは、新しい経験をしようとは考えず、ただ同じレベルの人間と同じ話をまわしているだけのことが多い。
だから、僕のような年齢の高い、それでいて知的な感じの紳士にはなかなか向こうから声をかけてこないのだ。

僕は本当に小さな食堂で、たまたま一緒になっても、学生旅行者同士でわざと僕を無視している場面にもであった。
彼らは、低レベルの、手垢の付いた旅行の俗説を互いに交換し合って、こちらから目をそらしていたね。

僕が会話に入ると、一気にその場を支配するとミエミエだったからね。
彼らは、中身のない話をすることで、共同体を作ろうとしていたので、僕が入ってくるとまずかったわけだ。

アフリカで出会った40歳過ぎのベテラン旅行者は「昔は旅行情報は同じ旅行者からしか手に入らなかったので、いろいろと話したものだ。近頃はガイドブック通りに旅行して分かったような話をするのがいるから、オレとは話が合わないんだ」とぶつぶつ不平を言っていた。

まあ、このベテラン旅行者の話には一理あることはある。
しかし彼が若者とつきあえないのは、単純に言うと話がおもしろくないのが原因だと思った。

僕ぐらいになると、女子高生とも話を合わせられるし(SEXの話をすればいいのだから簡単だ)、発展途上国に赴任した非エリートの日本大使館員ともまじめに世界情勢について語れる。
社会人旅行者とは日本社会のくだらなさについて語れるし、お年寄りの旅行者とは葬式代の高騰やあの世について話せる。

つまりどんな人と出会っても、相手に合わせた話題を持ち出せる。
まあ、これができなければ、僕がやったようにすべての国境をすんなりと越えることはできないわけだ。

例えばイギリスの入国ではイギリス流の英語を使って知性と信頼性をアピールし、中米の陸路国境越えでは空手もできてスペイン語でシモネタジョークをとばせる中国人(ここらでは日本人もチーノと呼ぶ)を演じなければならないのだから。

だから僕はおもしろそうな旅行者を見つけたら、自分から声をかけて親しくなることにしている。
僕に向こうから声をかけてくるのは、僕をおもしろそうな旅行者だと見抜ける高レベルの旅行者のはずだ。

で、どんな高レベルの旅行者が声をかけてきたのかと期待して、うしろを振り向くと、な〜んだ、ハッキリ君だ。
でも考えてみれば、ハッキリ君とは今日の昼ドンムアン空港で出会ったわけで、まだ半日もつき合っていないのだ。
まだ完全に飽きてはいないのだから、ちょっと話をすることにする。

「さっきバンダナ君に会ったよ。帰りのリコンファームやってたんだって」と僕は共通の話題を出す。
「あいつはまだ時間があるのに、なんでベトナムに行かないのかな?」

僕は別にバンダナ君がベトナムに行かないことをどうこう考えているわけではない。
そんなことは彼の勝手だ。
しかし、ここまで来てベトナムに行かないようでは本物の旅行者とは言えないと思っているので、つい口に出してしまう。

「バンダナ君とは僕も会いました。いま女を買いに行ってるんじゃないかな」と、ハッキリ君。
「バンコクでプノンペンの往復切符を買ってるので、それでベトナムに行かないんじゃないですか?」とハッキリ君は付け加える。

「あいつは女を買うために旅行しに来たんかな」
「でも、安いという話ですよ」
「ふ〜ん、で、いくらなの」
「あそこに日本人が書くノートがあるんですが、さっきちらっと見たら、5ドルと書いてありました」
「5ドルか、まあそんなもんだろうね」
僕はLAでも町で買う立ちんぼの普通の売春婦がショートで30ドル程度だと知っているので、ここならそれでも高いと思う。

といっても僕がLAで30ドルの売春婦を買ったわけではない。
これは誤解がないように。
僕は「女にお金を使わない」をモットーにしている、金のない中年おじさんなのだ。

でも、金を使わないのは決してけちなのではなくて、金を使うとSEXが楽しくないからだ。
で、「金を使うとSEXが楽しくない」と書けるのは、金を使ってSEXをしたことももちろんあるからだ。

以前、日本人の団体売春ツアーが盛んだったころ、僕がフィリピンやタイに個人で旅行しても、必ず友人から「あそこの女はどうなっているの?」と聞かれたものだ。
「知らない」とは言えない。
とすると、女を買わないわけには行かない。

それに、番号札を付けた女の子たちが雛壇に並んでいるところは、好奇心旺盛な旅行者として是非見なければならなかった。
僕はきれいな景色よりも、旅行中に出会う人間そのものに興味があるのだから。

で、そういうところへ行けば女の子を買うことになる。
そういう形で売春は経験しているが、最初から経験としておもしろいと思っているだけなので、SEXは楽しくなかった。
一緒に食事をしただけで、お金を渡して帰ってもらったことも何度かある。

売春宿(マニラヒルトンホテルと言ったっけ)で日本から連れて行った女の子と隣の部屋の(泊まった部屋は続き部屋で、間にドアがあったので声がよく聞こえた)売春婦と日本のおじさんの会話を聞いて喜んでいたこともある。

まあ、僕にとっては売春も旅行の中のひとつのエピソードに過ぎないので、いろいろとおもしろい話もあるが、ここで発表することもないだろう。
ただ、「世界旅行者」はとにかくいろんなことを自分(の身体)で経験しているということを確認しておいてほしい。

「あそこにいる4人組の日本人、見るからに下品だね。バンダナ君もあいつらに聞いて女を買いに行ったのかな。あの程度の連中は僕は見抜けるんだよ」と僕が言う。

ハッキリ君はまだ僕のすごさを知らないので「西本さん、本当ですか?それじゃ、あの4人はどういうふうな関係なんですか?」と僕に質問をする。
「まあ、あいつらは個人でインド旅行かなんかにやって来て、結局カルカッタかなんかの日本人の集まるところで一緒になって、それでずるずるとつるんで旅行してるんだ。一人じゃ旅行できない典型的な日本人の馬鹿学生だ」と断言した。

「そうですか〜?」とハッキリ君は言って、立ちあがり、ずいずいっとその4人組の方へ行き、話しかけた。

おやおや、なかなかやるじゃないか。
知らない人間にすっと声をかけられるというのは、普通の日本人ではない。

ハッキリ君は4人組と5分ほど話をして戻ってきた。
「西本さんはすごいですね!言うとおりでした。聞いたら、みんな一人でインドに旅行して、宿で知り合って、それからずっと4人一緒に旅行しているそうです」と情報を伝えた。

ハッキリ君はなかなかおもしろいやつじゃないか。
はっきりものを言うだけではなくて、はっきりと行動もする日本人としては珍しいタイプだ。
これならもう少し話をしても、面白いかもしんない。

「そうだろう。ああいうやつは多いんだよ。それでいて日本に帰ったら最初から最後まで一人で旅行したような話をするんだ。で、インドを放浪したとか嘘ばかり言うんだ。インドについてがたがた言うやつはだいたい北インドをちょろっと旅行して、あとは本を読んで聞いたふうなことをぬかす根性なしの馬鹿野郎だ。これを僕はインド旅行者と呼んでるんだけどね。いまどき時代後れの、他になにもすることのない、女にもてない、友達のいない、最低の連中だ」と、僕はあっさりとしたコメントを述べた。

「西本さん、話したこともない人をよくそんなぼろくそにけなせますね!」
「ハッキリ君、僕は非常に明白な単純な事実を自分の感情を込めずに客観的に言っているだけなんだよ」と、僕は冷静に知的な返事をした。

「ところでその日本人用のノートってどこにあるの?」
すると、ハッキリ君はレストランのキャッシャー横の釘に掛けてあるノートを持ってきた。

ほー、ここにもあったか。
僕はそう思った。

日本人と言うものは、おかしな人種だ。
世界中のあちこちに日本人だけが泊まる宿を作るばかりか、そこには必ず日本人が旅に出た感想を書くノートが準備されている。
そしてそのノートの中には、ありふれた、誰でも書ける、あくびの出そうな、自己満足の、面白くも何ともない、オナニーのような、読むとへどが出る文章が書き散らしてある。

まあ単純に言うと、パソコン通信によくアップされる面白くも何ともない、誰も読まない、だらだらと長いだけの、自己満足の「旅行記のようなもの」だ。

ただ、パソコン通信と違うのは、旅先の宿の日本人ノートの書き込みは確かにそこへ旅行した人が書いているところだろうか。

パソコン通信などになると、旅行もせずに本を読みあさって、適当な旅行記をでっちあげ、それをまた旅行もしたことのない連中が読んで感激している風景がよく見られる。

童貞の中学生が、エロ雑誌やエロビデオの情報を交換して、見栄を張ったりほらを吹いたりして互いに興奮しているようなものだ。
だからこういう童貞連中のエロ話、つまり一晩に10回射精したとか、一日中24時間はめっぱなしだったので挿入したまま食事をしたとかいう話を、信じてはいけない。
すべて人の話はそれと比較できる自分の体験があって初めて評価できるものなのだからね。

僕の経験からしても、男性は一晩にせいぜい7回程度しか射精できないものだし、挿入して最初の射精までは平均で3時間程度である。
しょせんこんなものだ。

とはいっても、正直言うとこれは僕の見栄で書いているわけで、僕はもう40を越えていて、本当は一晩に3回しかできないし、3時間というのも前戯の1時間を勘定に入れているわけで、挿入したままの正味は、たったの2時間だけだ。
恥ずかしい話だが、僕は別にSEXを職業にしているわけではないので、この程度で相手の女性には我慢してもらっている。

さてこのノートをぱらぱらとめくると、予期したとおりのことが書いてあった。
まず誰でもが書くのが、「日本をこんなに遠く離れて、私は人生を考えています」タイプの即席人生論だ。
でもね、人生をまじめに考えているのなら、タイから飛行機でたった一時間のところに来ただけで感動してはいけないよ。
旅行に使う、その金を郵便局の定額貯金にして、貯めた金で女子高生を買った方が人生はよくわかるのじゃないかな。

次によくあるのが、「僕は、私はみんなと違ってこんなに安いものを買いました」という、つまらない自慢話だ。
ここにも、「レストランの表のレンタル自転車は一日1ドル(2500リアル)だが、ちょっと横の自転車屋だと一日2000リアルだ。僕は安く借りた」とあった。
これは情報を与えているのではなくて、単に「どうだい、僕は君たちより賢いんだぜ」と言いたいだけの自慢話なんだ。

しかしそれをよく読むと、「2時間も値切って」とある。
わずか500リアル、日本円で20円値切るために2時間も貴重な旅先の時間を使ってそれで満足しているのでは、本当は賢くないのではないだろうか?

ちらっとそういう疑問が脳裏をかすめたが、こういう疑問を追求していては長期旅行はできないのですぐに止めた。
それを言うならば、もともと旅行に出ること自体が無駄で意味のないことだからだ。

これに類した自慢話で、「みんなは女を5ドルで買ったらしいが、僕は3ドルでした」というのも書いてあった。
ただ、その数日後に「おしっこが白く濁って膿が出てきましたが、なぜでしょう?」という書き込みがあったことを付け加えておこう。

確かにこういうノートを見るのはおもしろい。
書き込んだ旅行者の学歴・職歴・家庭の事情・将来の人生・旅行のタイプなどの解説付きで、ハッキリ君に読み方を伝授してしまった。

その時、「中山美穂を見て来ましたよ、西本さん」と声がした。
見ると、バンダナ君だ。

確かバンダナ君は売春宿に行ってたはずだ。
すると中山美穂が売春しているのだろうか?

謎が謎を呼ぶ展開だが、でも、この疑問は次回に解決されるだろう。

 

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