「世界旅行者・海外説教旅」第二章:中国編
《中国編の開始に当たって》
「世界旅行者・海外説教旅」の第一章「旅の前に」が終わって、ずいぶん時間がたったが、やっとこの第二章を書き始めることとした。
さて、第一章ではちっとも旅については書いてなかったけれど、それは僕の旅行記としては珍しいことではない。
例えば現役東大生の間で大人気の「キューバ旅行記」なんかになると、人類が生まれて、金持ちと貧乏人がなぜ分化したか、その重要な分岐点(ま、それは銭湯だったわけだけどね)を詳細に探求するところで終わっている。
もちろん、キューバ旅行記なのだから、そのまま書き続ければキューバ旅行記が出来上がるわけだ。
ただ、僕は単なる旅行ライターではなくて、もともとが旅行哲学者なので、別にキューバ旅行に行った話を面白おかしく書いて、ありふれた旅行本にするつもりもないので、放ってあるわけだね。
もちろん、出版社から「キューバ旅行記を本にしたいでーす!」という申し込みがあれば、スラスラっと書いちゃうけどさ(笑)。
「世界旅行者・海外説教旅」の第一章を長々と書いた真の目的は、実は、僕が日本の旅行者の中でただ1人、正真正銘の本物であることを、はっきりと宣言するためだったんだよ。
だから、別に読んで面白いわけでもなんでもない。
中には「よくこれだけ自慢できるよなー」と、うんざりした人もいると思う。
ただ、頭のいい人にはとっくにわかっていることでも、知的レベルの低い人たちはなかなか理解できないんだよ。
だから、きちんと書いておかないと、永遠に理解できない人もいるだろうと、頭の悪い人たちのために、特別に親切で書いてあげたわけだ。
僕のファンというのは、正直、エリートばっかりなので、僕の書くものは、日本の凡庸な一般大衆には受けないかもしれない。
ただ、一般大衆というものは、自分で何も考えず、ただ流行に乗りたがるものだし、その流行は社会の一部の先進的な人たち、つまりエリートが作り上げるものなんだよね。
そういう意味では、僕は確実にそういうエリート層をつかんでいるので、ブレイクまではあと一歩というわけだ(笑)。
例えば、僕の先見性のすごさというものは、すでに事実によって証明されている。
まず、僕は@niftyが、まだパソコン通信中心の時代から、ニフティのフォーラムは間もなく全滅する、と予想していた。
というのは、参加者の知的レベルが低すぎて、ニフティ自体も変化する時代についていけないことが明白だったからだよ。
現在は、僕の予想通り、@niftyはインターネット化に大きく乗り遅れて、@niftyのフォーラムはウェブ化したが、逆に中身のなさが世間にバレバレになって、もうだれも近づこうとはしないし、すでに完全に終わってしまった。
@niftyは、これからなにをやっても、落ちていくだけだ(涙)。
しかも、考えればわかるのだが、もともと「インターネットにプロバイダーなんか必要ない」んだからさ。
インターネット利用者にとっては、電話と同様に、ただインターネットに接続できさえすればそれで十分なわけで、なにもプロバイダーのお仕着せの機能なんか無駄なだけだ。
もし、ある機能が必要ならば、その機能は一つのプロバイダーに制限されることを嫌い、独立して発展するに決まっているんだからね。
プロバイダーそのものの存在価値がすっかりなくなってしまったわけだから、@niftyは(もちろん他のプロバイダー会社も)すぐに存在を止めてしまうだろう。
僕はもちろん、ニフティの親会社の富士通もダメになるとずっと言い続けてきた。
富士通の株価を見れば、それは事実によって証明されていることがわかるだろう。
コンピューターの値段が下がって、大手のコンピューター会社が潰れるということも予想している。
例えば、今、秋葉原を歩いても、まったくコンピューター売り場には人がいないし、元気がない。
3年ほど前は30万円近くしていたノートパソコンの価格は、一年前に15万円前後になり、現在は10万円ちょっとになってしまった。
もうすぐ5万円前後で高性能のノートパソコンが売られるようになるだろうが、そうなると、性能も限界に来ているわけだし、個人を対象にしたコンピューター会社は存在できなくなるだろうね。
インターネットも、ほとんどなんの役に立たないのがバレバレになっている。
僕の友人も、コンピューターを使うのが面倒だからと、e-mailは携帯電話で済ませるようになった(僕は携帯を使わないので、インターネットを使ってるけどね)。
僕が毎朝コンピューターを立ち上げてもなにもすることがなく、e-mailをチェックしたあとは、無料ヌードサイトを見て、旅行関係の掲示板を見て、気がついたことをちょっと書き込む程度だ。
自分のサイトを更新したりするが、それも、正直な話、雑誌に連載コラムを持ったり、本の注文がドドッと来れば、タダで自分のサイトに書くなんてことはしないよ。
つまり、インターネットで名前を売った僕が言うから信憑性があるわけだが、インターネットは役に立たない。
しかも、このインターネットは何の役にも立たないと、書いたのは僕が最初だよ。
いま秋葉原を歩いて目に付くのは、エロマンガ書店と、エロビデオ(エロDVD)屋、エロフィギュア店だけだ(秋葉原には他にもコスプレの風俗店もあるようだが、僕は行かないので説明できないけどね)。
「日本人が好きなのは、セックスと宴会だけだ」とは、僕が言い続けてきたことだよね。
インターネット参加者は、社会のオチコボレだらけで、インターネットの出会いは無意味だとも書き続けてきた。
現在の日本社会は、立ち直ることができず、このまま滅びていくだろうことも、僕は予測していた。
小泉首相は口先だけで本当の理想も持たず、実行力もないとは、小泉内閣が成立して参議院選挙が行われる前から、僕は繰り返し繰り返し言ってたんだよ(これはインターネットを検索すれば、僕の発言が発見できるだろう)。
日本女性が海外でセックスしていることを、はっきりと描いたのは、僕の本が最初だった
海外旅行とセックスの問題を、興味本位ではなくて、単なる事実として指摘し、「海外個人旅行にはコンドームが必要だ」とズバリ書いたのも、僕がはじめてだよね(これは「間違いだらけの海外個人旅行」にあります)。
しかも日本女性が外国人男性とお付き合いする、その理由を、利己的遺伝子理論によって明確に説明したのも、僕が最初だ。
これをはっきり書いたことで、女性の安ライター諸君が外国人とセックスしたことを偉そうに書いて、本を出そうとした企画が全滅してしまった。
僕が、日本女性はみんな外国人男性とセックスしたいと思って、事実、あちこちでセックスしているいると書いちゃったから、不細工な女の三流ライターが外人とセックスした程度では、もう自慢できなくなったんだね。
世界一周自転車旅行をはっきりと無意味なことだ、何の役にも立たないと、僕が書いたことで、最近日本の新聞には、世界一周自転車旅行を褒め上げる馬鹿馬鹿しい記事はもう二度と載らなくなったよね。
まあ、こけおどしで、フランス人の若者なら誰でもやっているサハラ縦断バイク旅行をやる、時代遅れのライターが本を出したところで、誰もびっくりせず、誰も読まない、本がまったく売れない(笑)のは、僕の本の影響があったのかもしれない(これは、はっきりと僕の書いた本のせいだとはいえない。たぶんライター自身の感性がとっくに時代遅れになっているのだろう)。
世界中のどんな辺鄙なところでも、日本人旅行者、日本人滞在者がいるということを認めたうえで、そこから、新しい時代の旅行の話は始まらなければならないよ。
つまり、いまどき、ちょっと変わったところへ行った程度で、旅行自慢はできなくなってしまった。
また、その程度の旅行自慢は中身がスッカラカンだと、嘘だと、バレバレになってしまったんだね。
旅の本質は、旅の中で自分を見つめることだろう。
ならば、日本人の海外旅行を、百年一日のような、ありふれた手垢の付いた、冒険、出会い、感動、感謝、愛、などで適当に味付けして、小学校の作文のレベルの「旅行記」を書いて、知的レベルの低い一般日本人を騙すような時代は、もう終わっているんだよ。
僕の書くことこそが、本物なんだよ。
そこを見つめられれば、キミもわかることがあるかもしれない。
ということで、「世界旅行者・海外説教旅」の第二章が始まります。
(「世界旅行者・海外説教旅」012)
《会社に適応さえすれば、すべてがうまく行っていた時代もあったし、いまもあるよね》
こうして2002年7月23日、世界旅行者は東京駅午前6時発の最初の新幹線「のぞみ001号」で、大阪へと向かった。
1999年のアジア横断旅行のときは、ひかり101号で新神戸へ向かい、そこから市営地下鉄、ポートライナーを乗り継いでポートターミナルへ行き、そこで燕京号に乗って、天津へ向かったものだ。
今回は、一番最初の新幹線がのぞみで、新大阪へ行って、大阪市営地下鉄を使って大阪港のコスモスクエア駅へたどりつく。
コスモスクエア駅とは、なにかわけのわからない中途半端な名前だが、そこから大阪港国際フェリーターミナルへ行くのがちょっと手間取るという情報が入っている。
前回のひかり101号のときは、特に新幹線が混雑しているということもなく、新幹線に乗っても、「新幹線も久しぶりだなー」という以外、何の感慨もなかったのだが、こんどの「のぞみ」は大きく違っていた。
ガラガラだろうとの予想とは大違いで、きちんとスーツを着てネクタイを締めたサラリーマン軍団で7割くらいの席が占められていたのだ。
僕が座ったのが、三席並んだ海側のA席だったが、通路側のC席にはサラリーマンが座って、半分眠っていた。
これは困るよね。
だって、朝一番なのだから、僕としてはトイレにも行きたいわけだしさ。
でもまあ、サラリーマン、OLさんたちを最近間近に見る機会のなかった世界旅行者としては、久しぶりに「そういえば、日本は会社社会だったんだよなー」との感慨にふける機会を得たわけだ。
世界旅行者が大阪港を正午に出発する中国行きのフェリーに間に合わせるために、早起きして始発の新幹線に乗るのは、それは理由があるよね。
だって、乗り遅れたら、中国へ行けなくなっちゃうんだからさ。
でも、サラリーマンが、朝6時発の新幹線に乗って、新大阪に午前8時半に到着して、おそらくは9時の会社の始業時間に間に合わせて、なにか意味があるかな。
どうせ、眠くて仕事なんかにはならないのにね。
もちろん僕はサラリーマン諸君のキモチはよくわかっている。
彼らは、ただ、始業時間に間に合うように早起きをして新幹線に乗ってきたということで、「仕事に熱心な振りをしている」わけなんだよ。
これが日本社会の癌なんだね。
つまり、みんな仕事に熱心な振りをするということなんだけどさ(笑)。
日本の会社の生産性の低さは世界でも有名で、それは、労働時間が長いだけで中身がスカスカだということを示している。
僕もある大企業に勤めていたことがあり、一流企業勤務の友人も多いのだが、若いころの共通の話題というのが、「会社ってさ、みんな仕事をしない割に会社にべたーっとくっついてて、非能率的だねー」ということだったっけ。
日本の会社の特徴は、ほとんど実際の仕事はしないで、だらだらと仕事をする振りをしたほうがウケがよく、まあ出世もするということじゃないかな。
ま、日本の民間会社程度で少々偉くなったところで仕方ない、と思うけどさ(笑)。
しかし、日本の会社でまじめに周囲に合わせて仕事をしている振りを続けていると、年功序列で地位も賃金も上がっていく。
交際費も使えるし、出張費も誤魔化せるし、下請けからの接待もあり、会社の経費でいろいろと楽しいことができる。
日本の会社には一般日本人が欲するすべてがそろっていて、社会的な体裁も取り繕えるし、会社には運動会も、歓迎会も、送別会も、忘年会も、新年会もあり、おいしそうな遊び人のOLもいて、セックスには不自由しない。
一流会社や中央の官公庁では、上司から結婚相手を紹介してもらえる。
どんな個人的な魅力のない人間でも、一緒に話をする相手ができるし、何も考えなくても、会社のこと、仕事のことを話せば、なんとなく中身があるようなことをしている気になれる。
仕事以外では、スポーツ新聞で読んだ、プロ野球、サッカー、競馬、芸能記事の内容を知っていれば、話題に事欠かない。
まあ、会社にべったりくっついていれば、日本人としては、大成功なんだよ。
日本人に必要なものは、すべて会社が与えてくれるんだからさ。
僕が会社を辞めたのは、そういうミエミエの嘘がいやだったということもあったんだと思うよ。
みんなで仕事をする振りをするばかりか、まあ勤務時間内に仕事の振りをするのは我慢してあげてもいいけどさ、勤務時間後もお酒を飲みながら、会社の悪口を言ったり、会社の欠点を指摘したり、会社の将来を語るなんて、僕にはそれができなかった。
だって、会社なんて、自分とは関係ないんで、どーでもいいんだからさ。
勤務時間外まで、会社のことを考える義務はないっつーの!
僕は、それがきれいに見えていたってわけなんだけどね。
でも、見えないまま会社に取り込まれて、会社人間に自分を改造してしまった人も多かったようだ。
だいたい3年も会社勤めをしていると、自分と会社が一体化してしまい、すべての会社員にとって会社は共同体になってしまうわけだ。
つまり、小さな農村社会みたいなものなんだね。
日本古来の小さな農村社会では、共同体としての村そのものが最も大切なもので、個人の意思や個人の自由などというものは存在しなかった。
しかし、村社会に適応すれば、そこには村祭りがあり、村祭りの夜の乱交があり、若後家さんへの夜這いがありと、セックスには不自由しなかったわけなんだね。
それと同様に、日本の会社組織には、宴会があり、社員同士の乱交があり、夜這いはないかもしれないが、行き遅れのOLさんという新入社員はだれでもOKのセックス処理装置が存在するわけだ。
つまり、日本の会社というものは、会社員に対して、セックスを提供することで安定して存在しているわけなんだよ。
だから、会社と一体化してきた会社人間にとっては、リストラが一番怖いわけだ。
だって、リストラされたら社内恋愛、つまりセックスができなくなっちゃうからね。
中高年がリストラにあって、自殺する人が増えているが、その本当の理由は、会社を辞めてしまうと、新入社員のOL、部下のOLとセックスができなくなるので、それで絶望してしまうからなんだよ。
日本のサラリーマンなんて、男性としての魅力なんかもともとないわけだから、会社を離れたら一生、素人女性とセックスなんかできなくなるわけだからね。
これで、日本の中高年会社員の自殺の理由がはっきりと理解できるだろう。
繰り返すが、中高年会社員は、リストラを苦にしているんじゃないんだよ。
会社のOLさん、つまり素人女性とセックスできなくなるのを苦にして自殺しているわけなんだよね。
僕は外国人に日本の説明をするときに、いつもこういうわかりやすいお話をして、「なるほど、日本人サラリーマンが会社べったりな理由が、やっとわかったよ。こんな話は初めて聞いたっ!」と感動を与えているんだよね。
こういう明確な説明ができるからこそ、世界旅行者は外国人に人気があるわけなんだよ。
ひょっとして、国連で演説でもさせてくれないかなー♪
(「世界旅行者・海外説教旅」013)
《実は、世界旅行者はインターネット(パソ通)以前から、とっくに有名人だったんだよね》
この週の新鑑真号は大阪港国際フェリーターミナルから正午に出港することになっているが、フェリーターミナルへの集合は午前10時となっている。
だから、新大阪駅に午前8時半に到着したからと、大阪城見物をしたり、UFJでスヌーピーと遊んだりなどという楽しい時間は取れない(ちなみにLAではスヌーピーがいるのはナッツベリーファームで、LAのユニバーサルスタジオに行ってもスヌーピーには会えまえせんよ♪)。
複雑怪奇な大阪の地下鉄網を乗り継いで、大阪港国際フェリーターミナルの近くにあるというコスモスクエア駅へと進撃しなければならない。
その大阪の地下鉄に乗るために新大阪駅から下りのエスカレーターを利用したのだが、その時に、大阪ではエスカレーターの右側に人が立ち、左側はエスカレーターを歩く人のために空けてあるのに気がついた。
それに対して、現在の東京では、エスカレーターの左側に人が立ち、右側を人が歩いているよね。
以前は、エスカレーターを歩くこと自体が下品なことで、完全なマナー違反だったし、現在でも東京の都営地下鉄では「エスカレーターを歩かないように」との注意書きが出ている。
実際、東京の地下鉄の駅では、人が多いときなど、エスカレーターを歩きたくない人たちが、片側の左側に長い列を作って並んでいる。
また、本当は歩きたくもないのに、エスカレーターの右側に並んだばかりに、無理やり歩くことになってしまって、身体を壊してしまって、つらくて涙ぐんでいる人も多いよね(涙)。
エスカレーターで歩くのは間違ったことだったが、いつの間にか、エスカレーターの片方を空けて、誰も歩きたくないのに歩かなければいけない異常な状況が一般化してしまっている。
変だよね、いったいなぜなんだろう?
ところで、世界旅行者は世界中のほとんどすべてのことを説明できるのだが、この東京の地下鉄の左側通行について、実は、僕ほど語れる人間はいないんだよ(笑)。
みんなが迷惑しているこのエスカレーターを歩く馬鹿な習慣は、実は、馬鹿な大東亜戦争と同じく、あの朝日新聞が推進したものだ。
しかも、その音頭を取ったのは、現在では「噂の真相」で「ホンカツ氏」とからかわれている、本多勝一という元朝日新聞記者だった。
今はなき「朝日ジャーナル」という雑誌で、そのホンカツ氏は「世界中でエスカレーターは片側に立つのがルールである」という、誰も聞いたことも見たこともない、奇妙な論理を展開した。
さて、僕はそのころ世界一周旅行から帰ってきたばかりだったが、東京都ユースホステル協会での中南米旅行講演、世界旅行講演などで名前を売りだしていた。
また、旅先から寄稿したJTBの「自遊自在」というガイドブックの編集者と、旅行本の出版について相談をしたりしていた。
その流れで、「朝日ジャーナル」とも、僕の本を出版しないかと、相談を持ちかけていたわけだね。
その相談の中で、たまたま「世界中でエスカレーターの片側に立つというルールはない」と指摘したら、ある編集者が「是非、読者の声として取り上げたい」という話になって、それを許可した。
また、「西本さんのような本物の世界旅行者さんには、こんど朝日ジャーナルの座談会に出ていただいて、売り出しましょう!」という話になったわけだ。
まあそのころでも、京都大学という一流国立大学を卒業していて、僕ほど海外旅行経験の多い人間は、他にはいないわけだから、誰が考えても当然の話だよね。
ところが、ホンカツ氏は、読者の投稿という形で朝日ジャーナルに掲載された「世界中にエスカレーターの片側に立つというルールは存在しない」という指摘に怒ったらしく、朝日ジャーナルの編集部の副編集長を通して、謝罪要求をしてきたってわけだ。
しかしもちろん、世界旅行者は、有名新聞社の、有名雑誌の編集部の「副編集長」を通して、有名ジャーナリストから文句をつけられたくらいで、簡単に謝罪なんかしないものなんだよね。
相手はしょせんサラリーマンなんだからさ(笑)。
これから後の話を、さらに詳細に面白おかしく書くと、また変な人たちから謝罪要求をされたり、告訴するぞと脅迫されたりする可能性があって面倒なので、書かないが、これでも僕は大きく名前を売った。
この関連で、週刊文春は4ページにわたって僕の特集記事を組んで、写真入りで「世界旅行家」と紹介した
また、その関連というのではないが、ロス暴動のときには、ロスから週刊文春の取材のお手伝いをして、誌面に名前を載せたこともある。
朝日ジャーナルは、僕の名前を載せた後、あっという間に廃刊してしまったので、一部では「朝日ジャーナルを潰したのは世界旅行者だ」という噂が流れているようだが、それが正しいかどうか、僕はわかりません。
ただ、僕がそのころの編集長、下村満子女史に内容証明郵便を送付した後に突然廃刊になったのは、確かなことだけどね(笑)。
というわけで、なぜか朝日ジャーナルが潰れてしまったので、朝日ジャーナルの世界旅行座談会によって僕を売り出す計画は、潰れてしまったわけだね。
JTBの方もファンになってくれた編集者はいたのだが、その馬鹿上司が僕を嫌ったらしく、旅行本の出版話は立ち消えになった。
もちろん、僕は過去のいきさつになんか全くとらわれないあっさりした人間だから、今からでも朝日新聞が僕の本を出したいなら、断ることはないし、JTBから話を持ち込まれても気にしないので、びくびくせずに、申し込んで欲しいものだよね。
そうあれは、1992年だから、もう10年も前のことになるよなー。
世界旅行者と敵対した朝日新聞は、どんどん読者をなくして行って、あと5年もしたら存在を止めているかもしれない悲劇的な状況に立ち至っているのに、世界旅行者は、ますます名前を売っている。
「結局、生き残るのは本物だけなんだよなー」という感慨が、大阪の地下鉄のエスカレーターを見た、その一瞬に、湧いてきたね。
でもまあ、そのころ朝日ジャーナルで僕を売り出していたとしても、JTBから旅行本を出版していたとしても、今のような本当の本物にはなっていなかっただろう、と思い返す。
そのころも今も、世界一周してきた程度の旅行者は山ほどいるし、その程度で一人前になったと勘違いして、旅行記を出版しようなどという身の程知らずのことを考える人間は引きも切らない。
最近は納まったようだが、青少年向けのヌード雑誌「週刊プレイボーイ」などでは、ネタがなくなると決まって、暇ネタとして、底の浅い海外旅行関連の特集を組んだりしたものだ。
その中には、「週プレが世界旅行者を認定する」などという、いかにも高卒や三流私大卒の安ライターが思いつきそうな身の程知らずの企画があったので、僕はわざわざ手紙を書いて、「世界旅行者を認定するのは、世界旅行者協会だけだ。旅行もしたことのない安ライターが、勘違いするな!」と、やさしく指摘してあげたこともあったっけ…。
そうはいっても、僕自身、そのころは、(もちろんそれ以前にも長期旅行はしていたが)ちょっと2年8ヶ月間世界5大陸を連続して個人旅行をした後に、さらにロスに6ヶ月滞在していた程度で、まだまだ本当に本格的な旅行者ではなかった。
僕はその後、さらに二回目の世界一周をやったばかりか、アフリカ縦断、アジア横断、世界三大滝に加えてエンゼルフォールズまでにも行き、ほとんど完璧な世界旅行者としての地位を確立したわけだからね。
しかも僕は、2001年の西アフリカ旅行によって、アフリカの東、西、南、北すべてを個人旅行してしまったので、今回は、日本人旅行者の定番、とてもお手軽な、船による上海旅行までやってしまおうというわけだ。
世界旅行者の考えること、することは、すべて神に導かれている。
だから、この新鑑真号での上海行きでも、なにか思いがけない、すごいことが起きるはずだし、そして起きるのだった。
が、どのように起きるかは、毎日読まないとわからないよ(笑)。
(「世界旅行者・海外説教旅」014)
《新鑑真号では、素晴らしい出会いが次々に起きる》
コスモスクエア駅に着いてエスカレーターを上がると、そこにはすでに数人の大きな荷物を持った人たちがいた。
どうやら、ここにバスが来るらしい。
時刻表を見ると、そのバスは、国際フェリーターミナルに船が着く日だけ、特別に動いているようだ。
9時半に最初のバスがやってくるころには、長い列が出来ていて、次々に乗り込むとすぐ満員になる。
ターミナルに着くと、ターミナルとは名ばかりで、中には売店もなく、もちろん免税品店もなく、非常に感じの悪い殺風景な待合室があるだけ。
カウンターでボーディングパスをもらっうが、待っていても何もすることがない。
椅子があちこちにあるだけで、それに比べて乗客が非常に多いので、一度座ったら立ち上がらないようにしないと、席を取られてしまう。
こういう時は確かに、バックパックを持ってきてよかったと思う。
いざとなればバックパックを床において、バックパックに腰を下ろせるからね。
同じ感じの旅行者はいないかと見回しても、乗客は里帰りの中国人が多いのと、日本人の団体旅行もいて、日本人のバックパッカーらしき旅行者はほとんどみつからない。
前回の、神戸から出港のときは、ほとんどバックパッカーで、バックパッカーが多すぎて、逆に話しかけるのを抑えたんだけれどね。
乗船して、僕が指定された、二等の洋室612号に案内してもらう。
二段ベッドの8人部屋で、中央通路を挟んで、両側に4つずつのベッドがある。
入り口のドアを開けたところに、棚があって、そこに荷物を置けるようになっているが、かなり小さい。
僕のベッドはドアを開けて入った左奥の下側の8番ベッドだ。
部屋に入ると、僕のベッドの上段に一人の日本人の若者がいて、荷物を開けていたので、「こんにちわー、よろしくお願いしまーす♪」と、声をかける。
旅先ではとにかく、ドミトリーの宿や寝台車、船室などで、しばらく同じ空間、時間を共にする人とは、嘘でも嫌いでもある程度の人間関係を作っておくことが大切なんだからね。
というのは、この部屋には自分の荷物を置きっぱなしにするわけだし、僕自身がいつも部屋にいるとは限らない、というか、寝る時以外は僕がベッドしかないこの部屋にいることはほとんどないだろうから、荷物を見張ってもらう(ちょっと注意しておいてもらう)ためにも、人間関係を作っておいた方が有利なんだしさ。
そして、旅行経験が多ければ、それがわかっているので、とにかく適当に挨拶をして、互いにある程度の人間関係を作ろうとするものなんだよ。
ところが、この若者は、「あ、どーも…」と返事しただけで、ベッドのカーテンを閉めてし閉じこもってしまった。
「こいつはダメだなー。つかいものにならない。10点!」と僕はすぐに点数をつけた。
もちろん10点というのは、100点満点の10点だよ。
人間に点数をつけるのは、何をするにもなかなかわかりやすく便利だから、世界旅行者ファンの皆さん、この文章を読んでいる人たち、ま、ファン以外は読んでないと思うけどね(笑)、覚えて置いてください。
さて、人間には大きく分けると二種類あって、それが男性と女性だ。
で、世界旅行者のポイントでは、男性の基準点は50点、女性は100点となっている。
だから、男性と女性と会う約束がダブったときなどは、点数を比較すれば迷うことがない。
普通は、女性の方が点が高いので、もちろん、女性と会うことになるわけだよ。
でも、男性でも世界旅行者におごってくれる場合は、点数がプラス100点、となって、すぐに150点に跳ね上がる。
だから、おごってくれる男性は、普通の女性よりもぐぐっと点数が高いので、是非御連絡ください。
しかし、一流大学の知的な美人女子学生または女子大学院生(はっきり言うと、頭のいい人しか僕を好きにならない、というか頭の悪い人は僕を好きになれない)などが、世界旅行者にタダでセックスさせてくれる場合、これは、プラス1000点なので、安心していいです。
ここで、「えっ、点数は100点満点じゃないんですか?」などと、どうでもいい細かいことを言うと、即座にマイナス1万点が付きますから、注意してくださいね♪
次々に旅行者らしい若者が、部屋に入ってきたが、みんなどうも基本的な挨拶も出来ない人ばかりで、全体的に暗い感じだ。
これが今の若い人たちの普通のタイプかもしれないね。
実は、僕が異常に人付き合いがよく、話が面白いのは、その源が大学時代のユースホステル(YH)活動にあることを、ここで告白しておこう。
「これが正しい海外個人旅行」の序文にも書いておいたのだが、僕は大学時代に京都のユースホステルグループに参加していた。
そして、ユースホステルを利用して、日本中を旅してまわっていたんだよ。
そのころのユースホステルでは、ミーティングというものがあって、夕食後に若者が集まって、歌ったり、踊ったり、ゲームをやったりして、仲良くなっていたものだ。
それが、一つの「ユースホステルタイプの人間」というのを製造していたのだと思う。
そして、ある意味では僕はその「ユースホステルタイプの人間」の典型なんだよなー(苦笑)。
つまり、とってつけたように見知らぬ人とすぐに仲良くなることができて、また逆に、親しくなった、盛り上がった状況を、すぐに忘れてしまえる。
まあ、そのころの状況を思い出せば、一つのYHで盛り上がっても、翌朝はそのことはあっさりと忘れて、別のYHでまた盛り上がる、これを繰り返していたわけだ。
そのころのユースホステルには、ある意味で、日本の若者の中の、一種特別な文化があったのだと思う。
それは、急激に燃え上がって、あっという間に消えてしまったのだけれどね。
今では滅びてしまったが、まだ日本の辺鄙な場所のユースでは、そのころの思い出を捨てられないのか、わけのわからない人たちが集まって、昔ながらのことをやっているとか…。
ただ、参加者が中年のおじさんばかりだというのが、革命グループに参加したまま歳を取って、あいわらず内ゲバを繰り返している人たちみたいに時代遅れで、ちょっぴり哀しいってわけだけどさ(涙)。
というわけで、同じ部屋に泊まる日本人の若者たちが、旅慣れてない、オタクっぽい連中だと見切りをつけて、出港を見学しに、僕は部屋を出てパブリックスペースに出て行った。
するとそこに…。
(「世界旅行者・海外説教旅」015)

《新鑑真号と燕京号を比較し、中国人妻との出会いから、日本人と日本文化を考える始める》》
新鑑真号の受付から階段で上がったスペースに、ちょっとしたテーブルと椅子があって、僕はそこに座って、窓の外の出港風景を眺めている。
前回、燕京号に乗ったときは、初めて船で中国・天津に向かい、それからシルクロードを通ってアジアを横断する長い旅への出発だとの感動があったので、デッキに出て、出港風景を飽きずに眺めていたものだ。
今回はどうなるかわからないが、最短のコースだと、上海へ船で行って、バンドをあるいて、それだけで帰ってくる。
船に乗ること自体が旅の目的なので、船が岸壁を離れることにそれほどの感動はない。
新鑑真号と燕京号を比較すると、共に1万トンを越えていて、船室の配置を見ても、ほとんど同じといって、言い過ぎではない。
もちろん、二等洋室の部屋のベッドの数などは違うけれど、ま全体的な印象って言うんでしょうか、それなんだけどさ。
ただ、新鑑真には図書室がないのがちょっと欠点だし、ロビーにあるテーブルも少ないので、旅人同士の出会いもないと思われる。
部屋にはベッドしかないし、これは昼間の居場所がないよ、困ったなー、と小さく舌打ちをする。
まあ、海外旅行とはいっても、すべてがすべて楽しく面白いことばかりではなく、うんざりしたり、ガッカリしたりすることが多いわけだ。
ただ、日常生活と違うのは、それがただ目の前を次々と通り過ぎていくから、気にならないってことかな。
日本の日常生活では悪いことが起きれば、それがそこに留まって、だんだん積み重なっていくのに対して、海外旅行では、その場限りで過ぎ去ってしまう。
結局、苦しいこと悪いことも、海外旅行では通り過ぎていくのだから、過ぎ去ってしまったものは、最終的には「いい想い出」になるわけだ。
と思いながら、船内の自動販売機で、缶ビールを購入して、飲みはじめる。
国際フェリーの中では、税金の関係だろう、日本のビールが日本国内より安く売られている。
これはいいよねー。
というふうに、ほんの小さなことに喜びを見出すと、とても幸せになれる。
小さな幸せに酔っていると、「すみません、いいですかー」と、声をかけられる。
子どもを抱いた30ちょっとすぎの女性で、僕のテーブルの向かい側に座る許可を得たいらしいので、もちろん「どーぞ、どーぞ」と答える。
旅に出るとだれかれかまわず話をしても変ではないので、「上海への旅行ですか?」と、声をかける。
すると彼女は中国人で、日本の男性と結婚して子どもを連れての中国への里帰りだそうだ。
「中国も最近は発展して、上海なんかは、日本以上の大都会だそうですね」と、とにかくほめる。
でも、彼女の実家は、豊かではないそうだ。
「日本では布団は買い換えるけれど、中国では一つの布団を一生使います」とのこと。
「夫はまじめな人で、夜遅くまで働いて、働いてばかりいます」と、悲しそうな顔をする。
うーん、中国でも東南アジアでも、金銭的には貧しいかもしれないが、結構気楽な生活で、僕が前回訪れた四川省の省都、成都を歩いていたら、中国人のお姉さんたちが道端で麻雀をやっていたりしたものだ。
そういえば、スペインではお年寄りたちが、公園の木の陰で、ドミノをやっていたのを見たっけ。
日本には金はあるが、庶民の幸せな生活はないよね。
お金があっても、その使い道がわからないので、酒を飲んで女を買って、ゴルフをしてしまう。
日本という国は、幸せのないところだね。
幸せになる方法を忘れてしまっているんだ。
日本人が幸せでないのは、結局、日本人が、日本とはどういう国か、日本人はどうあるのが幸せなのか、を考えずに、ただひたすらお金を稼ぐことに狂奔してきたからだ。
そしてせっかくバブルが崩壊したのに、まだ、お金を稼ぐにはどうしたらいいかをみんなで考えている。
馬鹿だね。
バブルのときに、「お金があっても、お金を使う思想がなければ、意味がない」とわかったはずなのに…。
つまり、日本人は、自分からは何も考えないんだよ。
そして、時々考えた振りはするが、本当は自分で全く考えないという性質、これがまた日本人そのものなんだよ。
でも、日本人が何も考えなくても、日本社会を見れば、日本人の本質は誰にでも簡単に理解できる。
日本社会を見るよりももっと簡単なのは、海外旅行をしている日本人旅行者を見ることだね。

(「世界旅行者・海外説教旅」016)
《日本人旅行者・タイプ3(T−3)との出会い》
船は快晴の空の下、大阪港を出て、南へ南へとすすむ。
1999年のアジア横断のときの燕京号は、瀬戸内海を横切って、関門海峡を通ったのだが(また、そのために本四架橋を全部見れるので、敢て燕京号を選んだのだが)、今回の新鑑真号は淡路島との間の紀淡海峡を通過する。
さらに、紀伊水道を通って、太平洋へ抜けるってわけだ。
紀伊水道といえば思い出すのが、そうそう、僕が京大の学生だった何年目かの夏だ。
京都から九州へ自転車で帰省したとき、この海をフェリーで徳島へ渡ったことがあった。
その日の朝に思いついて、計画も何もなしで京都の下宿を自転車で出て、走りに走って、どこかの港からフェリーに乗って、その夜に徳島ユースへ到着。
今考えれば、無茶な旅行をしていたよね。
あのころは、若かったが、あっという間に、歳を取ってしまった。
人生なんて、ホント短いものだ(涙)。
だから、人生の先輩として、この文章を読んでいる若い人、特に若い女の子に人生のアドバイスをしておくね。
とにかく、若い女の子は、若いうちに、いろんな人とたくさんセックスしておいたほうがいい。
歳を取ってしまうと、自分の方からお金を払わなければならなくなるからね。
僕は、船のデッキに出て、海風を受けながら、進行方向右側に見える陸地、すなわち四国を見る。
愛用のカメラ、コンタックスT−2をもっているが、自分では写真を取らない。
その理由をここで書いて置くね。
【人類が旅の写真を取る理由】
日本人観光客の典型として、「眼鏡をかけて、出っ歯で、肩からカメラをさげている」というステレオタイプのイメージがあった(いまもある)。
これでもわかるように、日本人はとにかくカメラが好きだ。
海外旅行に出ると、片っ端から写真を取りたがる。
しかし、もちろん、旅の写真は写真を取っただけでは、完結しない。
海外旅行の写真を他人に見せびらかして、「わーキレイねー。私もこんなところに行きたかったわ、よかったわねー。うらやましいわー」と言わせて、やっと一つの決着が付くわけだ。
特に重要なのが、最後の「うらやましーわー」という一言だ。
結局、人間の行動原理は、「他人より自分が優れていると確認する、他人より自分がエライことを見せびらかすこと」(「世界旅行主義」より)なのだからね。
ところが、最近は誰でも海外旅行に出ていて、雑誌やテレビで海外旅行情報を入手していて、海外旅行のウンチクを持っている。
下手に写真を見せると、「あー、私も行った、行った。この奥に、とてもステキなレストランがあるんだけれど、あなた行かなかったの?それはダメよ。そこに行かないと意味がないわ。海外旅行に出て、損したわね!」と、バカにされたりする。
せっかく金を使って、時間を使って、海外旅行に出て写真を取ったのに、バカにされるのでは、こんな損な話はない。
写真をバカにされた上に、海外旅行の自慢ができないなら、自殺した方がいいくらいだ。
だから、現代では、海外旅行に出て、気楽に写真を取っても、それを見せびらかす行為は、非常に危険だ。
誰にも見せられない写真なんて、ヌードやエッチ写真以外、持ってても邪魔になるだけで、意味ないよね(ふむふむ)。
旅の写真を他人に見せることは危険だから、旅慣れてくると、海外旅行の写真など取らないのが普通になっている。
それに、きれいな景色の場所の写真を取っても、写真にすると、その感動の3パーセントしか残らない。
自分がその場所にいるときには、その季節の気候の天候の中にいて、気温、湿度、臭い、日差しをそのまま感じているのに、写真にしたら、その記憶はボロボロに壊れてしまう。
だから、海外で感動した場所のことは、写真を取らずに、記憶の中だけに留めておく方がいいんだよ。
記憶のいいところは、遠くなればなるほど、自動的にきれいな思い出に変化させてくれることだしね。
例えば、僕が結婚していたころを思い出すと、別れた嫁さんとはけんかばかりしていたが、それも今では、いいところ、仲のよかったころのこと、楽しかったことだけしか、思い出さなくなってしまっている。
ここで例えば、目を吊り上げて口論している、つかみあって喧嘩しているときの写真が残っていたらどうだろう(ま、そんな写真なんか撮らないだろうけどね)。
喧嘩している写真があったら、また、そのときの怒り、苦しいつらい想い出が呼び起こされてしまうだろう。
だから、海外旅行の写真も、結婚相手の写真も、また、子どもの写真なんかも残さない方がいいんだよ。
どうせ、何十年かして、みんな死んでしまったら、誰かが捨ててしまうんだからさ。
すべての経験は、想い出のなかにインプットしておくのがいい。
死ぬまで自分だけで楽しめるのだからね(ま、ボケてしまうまでの話だけどさ)。
この論理で、一般の人が海外旅行の写真を取るのは大間違いだ、と結論が出たわけだ。
【世界旅行者がカメラを持つ理由】
という理由で、世界旅行者は伝説の世界一周旅行のときも、写真は取らなかった。
これは、正直、助かったと思うよ。
僕は2年8ヶ月連続して、ほとんど移動の連続で世界一周をしたのだから、写真を取っていたら、莫大な量になっていただろう。
で、そんな写真を現像して、アルバムにしたところで、誰も興味を持たず、何の役にも立たないばかりか、保存するだけ面倒なのだから、大損したってことになるよね。
実際、この最初の世界一周旅行のときの写真としては、エジプトのアスワンで出会った人妻さんが撮ってくれた、貸し自転車でルクソールの渡し舟に乗るときの写真しかないんだから。
でも、それで十分なのだから、それ以上の写真は無意味だったってことね。
今現在、僕が旅に出て写真を取るのは、単に自分の本を出すときに使えるからって、それだけの理由なんだ。
となると、当然、自分が画面に入ってないと、何の意味もない。
ただきれいなだけの写真ならば、どこかにあるんだからね。
だから、僕が、コンタックスを持って、というか、コンタックスを専用のバッグに入れて、ジーンズのベルトに付けているのは、自分の手で写真を撮るためではなくて、誰か適当な人を見つけて、「自分の写真を撮ってもらうため」なんだよね。
【日本人旅行者・タイプ3(T−3)との出会い】
というわけで、僕は、「誰か写真を撮るのを頼めそうなやつはいないかなー」と、甲板をうろうろしていた。
すると、突然声がかかる。
「すみません、写真を取らせてもらえますか?」
なんだって! 
写真を取ってくれる人間を捜して、うろついていたら、写真を撮りたいという人間が出現したよっ!
正直、僕も、もう伝説になってしまったパソコン通信の時代に名前を轟かせて以来、引き続き、インターネットの初期から発展期の現在まで、常に時代の先端にいて、名前を売り続けていた。
そればかりか、本も三冊出して、そのどれもが驚異的な売行きを示しているという、まあ、時代の寵児、チョー有名人だよ。
「まいったなー、僕が世界旅行者先生様だとわかって、写真を撮ろうというのか…」と、直感する。
それならいくらか金をもらわないといけないな、と思ったが、声をかけた人間の顔を見たらそれが間違いだとわかった。
彼は、日本人旅行者の中の典型的なタイプ分類の「T−3」だったからだ。
さて、「T−3」とはなんだろう?
それは、明日のお楽しみ♪
(「世界旅行者・海外説教旅」017)
《日本人旅行者、T−3、カメラマンを論じる》
海外旅行に出て、海外の景色がきれいだった、海外で出会った人が親切だった、海外の食べ物がおいしかった、海外でやったセックスが興奮した、まあ、こんなことを言っているようでは、まだまだ旅行の素人だ。
海外が日本とは違っている、と考えるのは、海外旅行に出始めたばかりの何もわからない時代のことで、海外旅行を繰り返すと、「海外も日本も本質的には変わらないね」と、正しく理解できる。
こうなって、海外旅行も、世の中も、少しわかったレベルだ。
しかし、僕くらいになると、海外に出るのは、海外を見るためではない。
海外で日本と日本人を考えるために、海外に出るわけだよ。
というのは、日本人が日本にいると、日本にピッタリ当てはまっていて、本質が見えないからね。
海外という日本とは異なった場所に日本人を置いたとき、日本人がくっきりと見え出すわけなんだ。
ま、例えば、銀座の高級クラブのホステスさんと、会社の交際費を使って、お店でいくら話をしても、ホステスさんの本性はわからない。
しかし、高級クラブのホステスさんと、新橋養老の滝で安い酒を飲みながらワリカンで話をすれば、ホステスさんではない素顔の女性として理解できるようなものだ。
僕が旅に出るのは、日本と日本人を考えるためで、だから、書くものも、一般の旅行記とは大きく違うんだよ。
だから、「世界旅行者さんのお書きになるものには、つねに日本人とはなにか、日本とはなにか、されにそれを超えて、人間とは、人生とはという哲学がありますね!」とよく言われる。
というわけで、もう何十年も日本と日本人を考え続けてきているので、僕には日本人を分類している。
そして今目の前に出現した男、T−3とは、その分類の一つだったのだ。
海外旅行に出て、いろんな旅行者に会うが、僕は自分からその職業を尋ねることはない。
というのは、ま、だいたい、普通の一週間程度の旅行者は別にして、ちょっと長く旅をしている日本人旅行者というものは、日本社会のオチコボレ、つまり、無職に決まっているからだ。
ところが、日本人というのは、日本社会の共同体から外れていることに恐怖を持ち、また、共同体から排除された状態であることを、他の日本人に知られたくない。
だから、どうしても、職業については嘘をついてしまうわけだよ。
でもその嘘をもまた楽しむのが、旅の秘訣なんだよね。
中には、旅に出た理由、旅で何をしているのか、日本に戻ったらどういう生き方をするのか、そんなウソを一生懸命に考えていて、こちらが聞きもしないのにペラペラと話し出す人間もいるところがかわいい。
日本人というのは、個性のかけらもない民族なので、いくら一生懸命に考えても、パターン化するのがまた興味深いところだ。
それで、僕は、旅先で出会う旅行者、日本人を、タイプ別に分類してあるんだよ。
そして、T−3というのは、その僕の分類で「(自称)カメラマン」となっている。
カメラマンの場合は、カメラさえ持っていれば誰でもカメラマンだと言える。
また、持っているカメラが必ずしも高価なものである必要もない。
カメラマンが本物かどうかという話になると、撮った写真でお金を稼げるかどうか、そこにかかっているだろう。
でもまあ、安宿に泊まって、長期海外旅行をしているような人間に、まともなカメラマンはいない。
でも特に問題になるようなことはないので、深く考えず、適当に受け流せばいいだけの、無害なタイプに当たるんだね。
また、カメラマンという場合は、一つの特徴があることを付け加えておこう。
それは、カメラを利用して、人と話すことが出来るってことだよね。
カメラマンがカメラを持っていないと、それは普通の気の弱い個性のない「ありふれた日本人」だ。
しかし、ありふれた日本人がカメラを持つと、カメラマンに変身し、他の人とコミュニケートするようになる。
逆に言うと、カメラを持つことで、自分をカメラマンという特別な立場において、その立場で他人とつながることが可能となるわけだね。
だから、海外で出会う自称カメラマンは、自分から積極的に人に話しかけてくる。
ただ、カメラを隠してしまうと、カメラマンではなくなってしまうので、急に無口になるところが面白いね。
というわけで、この一眼レフカメラを手にした日本人男性は、船の甲板上で、パチパチパチリと、これ見よがしに、カメラのシャッターを切り続けている。
そして、僕の写真をとってもいいか、声をかけてきたわけだ。
そうそう思い起こせば、僕も世界のあちこちで写真を撮られてきたものだ。
一つ強く記憶に残っているのが、1988年にイタリアのジェノバ駅のカフェテリアで、日本人のカップルに会った時。
ちょっと話をしたら、彼らはマスコミ関係の不倫カップルのようだった。
それで、世間話をしていたら、どうやら僕が、赤軍派の幹部だと誤解したようで、さっと写真を撮られてしまったことがある。
この時期、ソウルオリンピック直前だったので、破壊活動で日本の過激派がヨーロッパをうろついているという噂があったようだからね。
写真を撮った彼は、日本に帰国後、過激派のリストと僕の写真を照らし合わせたろうが、残念ながら、僕は、過激派ではなくて世界旅行者先生様だった(笑)。
でもそのときの記憶があるなら、今では結構出世しているはずだから、僕に雑誌のコラムでも頼んでくれればいいのにね。
恥ずかしがらずに、どんどん連絡をくれてかまわないんですからね♪
ま、ごく普通に旅行者同士で写真を取られることは、これはだれにでもあるよね。
しかし、ただ世界一周旅行をしていたときは、日本に住所がなかったし、別に写真がほしくもなかったので、「送り先がないのでいいですよ」と、さわやかに別れてきたものだ。
まあ、正直、写真の送り先なんか、知らせない方がいいんだよ。
その理由は、一つには、住所や電話番号を知らせると、あとあと面倒が起きる可能性があること。
また、旅先で知り合った人から連絡があっても、日本で再会しても話をすることもないので、連絡先を知ってても意味がないってことだけどさ。
もう一つは、「写真を送ります」と言う人は、だいたい写真なんか送ってこないものなんだよ(笑)。
でも、最初から送り先を教えないで置けば、「あの人はひょっとしたら、住所を教えておけば写真を送ってくれるような誠実な人だったかもしれないなー」と、いい想い出のままでいられるってわけだ。
ま、住所を教えていたら、絶対に写真を送ってはこないんだけどね。
僕は写真を取られること自体は、別にどうでもいいので、いくらでも写真は取らせてあげる。
そこで、カメラマンには、「どーぞ、どーぞ」と、写真を撮ることを許可して、海を見る世界旅行者というポーズを取ってあげた。
ついでに、カメラマンに僕のコンタックスを渡して、自分の写真を撮ってもらう。
普通だと、一人の人には一枚しか頼まない。
というのは、写真を撮るのが下手な人や、それだけならいいのだが、わざと失敗した写真を撮る人間がいるからなんだよ。
これは、どうやら日本人の特徴のようで、わざと手ブレを起こしたり、フレームをずらしたりする日本人は確かに多い。
ペルーのチチカカ湖畔の町、プーノの船着場で出合って、一緒のチチカカ湖ツアーに参加したアルゼンチン人の夫婦は、僕が写真を取ってあげようと申し出ると、「この前の日本人は二人の写真の片方だけしか写さなかった事があるのよ」と言っていたくらい、よくあることなんだ。
日本人に写真を撮るように頼むと、わざと失敗写真を取ることが外国でも知れわたっているんだよ。
これでも、日本人は、表面は親切そうに見えていながら、実際は、底意地の悪い、陰険な人間が多いってわかるね(涙)。
カメラマンについてはこれからも、話をすることがあるだろうが、船上のカメラマンの話はこれでオワリ。
甲板を歩いていると、別のタイプの日本人旅行者を見つけた。
ほうほう、この日本人は、別のタイプ、T−7だね。
T−7については、次回に話すことにするので、お楽しみにね♪
(「世界旅行者・海外説教旅」018)
《日本人旅行者・タイプ7(T−7)との出会い》
甲板を歩いていると、日本人旅行者・タイプ7(T−7)を見つけた。
T−7の特徴は、おとなしくて、気が弱そうなのだが、頭が悪いくせに変にプライドが高い。
でもそんなこと一目で見てわかるのかな? と、常識のある君は考えたことだろう。
それがすぐにわかるんだね。
というのは、T−7は、外人とピッタリくっついて話をしながら、他の日本人を見下したオーラを発しているからだ。
わかるかな? つまり、「初めて下手な英語を話して外国人と友達になって舞い上がっている日本人旅行者」、これがT−7なんだよ(笑)。
不思議なのだが、こういう旅行者は、前回の燕京号の中でも1人見かけた。
こんども、ほとんど同じような日本人男性が、やはり気の弱そうな、親切そうな白人男性とくっついて、どうやらたどたどしく英語をしゃべっているようだ。
海外旅行に出れば外国人と知り合える、と勘違いしている旅行者が多いようだが、それは現代ではほとんど不可能だ。
もちろん、僕が旅に出た20年位前は、個人旅行者自体の数が少なかったので、旅先の名所旧跡、空港、バスターミナル、鉄道駅、安宿で、違った国の人間同士が出合って、話をして、親しくなるということは、もちろん普通のことで、よくあったものだ。
いまでも思い出すのが、バンコクからバングラデシュ航空で飛んで、バングラデシュの首都ダッカのホテルで一泊して、翌日カトマンズ(ネパール)へ入ったとき。
そのころは、個人旅行者そのものが少なかったので、宿も決めず、ボケーッと空港にいたのは、フランス人の男性と僕だけだった。
一緒に町へ行こうかと話し合ったりしたが、彼は彼のガイドブックにあったホテルへ向かい、僕は声をかけてきた客引きの「日本人が泊まってますよ」という話(ウソだった…)に乗って、そう確か「セントラルホテル」というところへ泊まるので、別れたことがあった。
しかし、別のホテルに泊まっていても、カトマンズの観光名所は限られているし、旅行者がうろつく通りも決まっているので、ほとんど毎日出会ってしまい、すっかり友達になってしまったよ。
でも、現在は、カトマンズは、日本人旅行者がたくさんいて日本人宿に泊まっているし、また、外国人(ここでは欧米人のことだけどね)は外国人同士でまた、決まった彼らの宿があり、彼ら同士で盛り上がっている。
現在では完全に別の旅をしているので、日本人と欧米人が知り合うことはほとんどない。
しかし、欧米人と知り合えない根本的な理由はね、欧米人は、もう日本人に興味を持ってないってことなんだよ(笑)。
だれだって、知り合う価値がない、知り合っても仕方ないと思う人と、話すことなんてないよね。
欧米人にとって、日本人なんか、もうどうでもいいってわけなのさ。
でも、まあ、バブルのころまでは、そう僕が世界一周をしていた10年ほど前は、日本の経済力、経済進出に世界中が恐れおののき、日本人に対して興味を持っていたものだ。
その時期、日本のことを深く、面白おかしく、説明できるほど英語力のある日本人はほとんどいなかった。
実際、僕は1987年のケンブリッジ大学英語検定試験特級(CPE)という、普通の英国人でも合格不可能といわれているくらいメチャ難しい、日本人の合格者はほとんどいない、すごい英語の資格試験(ヨーロッパではとても知られていて、これに合格しているだけで、就職先は選り取りみどり)に合格している。
英国にいる日本人語学留学生の間では、CPEは夢の資格、憧れの資格なので、僕がCPEを持っているというだけで女の子にモテモテで、ロンドン滞在中はポコチンの先が乾く暇がないくらいだった。
ロンドンにいたときは、BBCの海外放送から、(もちろん英語で)日本について話をしてくれないかと、学校を通して僕に依頼があったくらいだ。
ただそのころは、もう、英語に疲れてしまっていたので、その話は断り、とっととヨーロッパへの旅に出てしまったのだが。
そこで、僕みたいな人間は、何でもかんでも英語で説明できるので、世界中あちらこちらで、出会う人ごとに「いやー、その話は始めて聞きました、是非もっと聞きたいので、家へ来てくれませんか?また会ってくれませんか?」と誘われた。
というのは、僕は、知らないことでも何でも、日本的な哲学と想像力を駆使して、すべて無理やりにでも、尾ひれをたくさん付けて、わかりやすく、面白おかしく説明してあげたからね(笑)。
ま、その、その場その場で頭に浮かんだ僕なりの説明のほとんどは、自分でも正しいかどうか、今でも自信はないけどさ。
でも、バブルは崩壊して、日本の経済力は落ちる一方だし、日本人というものも欧米では研究され尽くしてしまい、ただの「話の面白くない、個性のない、精神的に未熟な、コツコツ働くだけが取り柄で、セックス大好きな人たち」とのイメージが出来上がってしまっている。
話の面白くない、先が見えている、どうでもいい人間なんか、話す必要はないよね。
しかも、普通の日本人というのは、徹底的に英語がしゃべれないんだしさ。
ところが、欧米人の中にも、普通の欧米人とは付き合えない、欧米社会のオチコボレ、気の弱い人たちが一部存在する。
そういう人たちが、外人でありさえすれば尊敬してくれる、日本人を好きになるわけだ。
日本にいる欧米人の英語教師というのは、正直ほとんどは、欧米ではやっていけない、気の弱い、それで日本人なら付き合えるというオタクタイプなんだよ。
そういう英語教師、日本好きな欧米人、欧米人のオチコボレ、というタイプは、欧米人と付き合えないので、日本人と話すのが大好きなんだ。
で、日本人は英語コンプレックスがあるので、欧米人と話をして友達関係になったことで舞い上がってしまう人たちがいるわけだ。
この、英語コンプレックスがあって英語で欧米人と話をして舞い上がる馬鹿、これがT−7なんだけれども、でも彼は、本当に英語でコミュニケートできているわけではない。
英語教師が日本人にわかりやすいように、ゆっくりと、簡単な単語で話してくれて、日本人の英語を努力して理解しようとしてくれるから、そのコミュニケーションは、成立しているように感じられるだけだ。
でもそんなものは、本当のコミュニケーションではないよ(涙)。
実際、日本に無数にある英語学校の中での英語会話というものは、会話ではない。
なぜって、自分の意見がなくて、ただ、形だけの「会話のようなもの」をなぞっているだけだからね。
僕の宝島社新書第三弾「大人の海外個人旅行」には、「日本人が英語が出来ないのは、英語で話す内容を持たないからだ」と、ズバリ書いてある。
これは、実際、ポイントをズバリ突いているようで、語学学校の教師、通訳、翻訳家などの語学専門家からは、「その言葉で、もやもやしていたものが、やっとスッキリしました!」と、感動のお言葉が届いている。
ただ、あまりに本当のことをズバズバ書きすぎて、普通の人が「大人の海外個人旅行」を読むと、心に痛みを感じるようなんだよね(笑)。
だって、もちろん、「大人の海外個人旅行」には、英語の問題だけではなくて、セックス論も、人生論も書いてあるんだから。
「大人の海外個人旅行」の内容は、読んだ人の人生をすべてひっくり返し、否定するようなものなのだから、読んで怒るひともずいぶんいるようだ。
そのせいか、「大人の海外個人旅行」は、初版がまだ売り切れていない。
でも、売れ切っていないのは、この本が、あまりに真実を描きすぎたからなだ。
本のレベルが高すぎて、一般大衆が今はまだ、ついてこれないってだけなんだよ。
でも、あと数年すれば、必ず、僕の本についてこれるように、日本人自体が変化することになるだろう。
というか、現実に目をつぶっておとぎ話の中に生きてきた日本人が、現実の中に放り込まれて、いやおうなしに僕の正しさを認めざるを得なくなるだろうってことなんだけどさ。
それはそれとして、この外人と英語で話せたことに舞い上がっている日本人の特徴は、他の日本人と付き合わないってことだ。
僕が外人と知り合って、いろいろ話をしたら、別の日本人に紹介して、話を広げようと思うけどさ。
彼は、そんなことはしない。
というのは、彼の中では、英語をしゃべって外国人(欧米人)と付き合ったってことは、人には分けることの出来ない、とても大切なことなんだからさ。
でも、外国人は、別にその日本人と付き合う義理はないので、飽きたら放り出されてしまう。
これって、日本と米国の関係に似ていないかな(笑)。
さて甲板をさらに歩いて、もうたいして特徴のある人間はいないので、僕は昼食を食べて部屋に戻り、昼寝をしてしまった。
そして、夕食の時間に、セルフサービスのレストランで選んだ食事のトレイを持って、面白そうな人間はいないかなと捜す。
すると、そこに、なんとなく頭のよさそうな若者が1人でいるのを見つけた。
「ここいいですかー?」と、テーブルの向かい側に座り、ちょっと話をする。
すると、彼は、某国立大学の医学部の学生だという。
ふーむ、医者の卵か。
それなら、説経する価値はあるかもしれない。
というわけで、最初の説経が始まることとなるが、それは、次のお楽しみ。
(「世界旅行者・海外説教旅」019)
《説経1:前途有望な国立大学医学部学生(T−2)への言葉》
僕が海外旅行へ出る理由は、日本人を観察し、日本と日本人を考えるためだが、もちろん、観察しているだけでは、思考が深まらない。
だから、興味深そうな旅人とは、話をする。
しかし、ただだらだらと話をするだけでは、だめだ。
説教をして反応を見る。
すると、説経された方は、納得したり、怒ったり、泣いたりと、いろいろ反応をするので、そこに本質が見えてくることがある。
ここまで行って初めて、考える材料が出来るってわけなんだよ。
例えばありふれた旅行自慢の日本人に会って、ふむふむと自慢話を聞いても、何の役にも立たない。
そんなどうしようもないものをおとなしく聞いてあげると、旅行自慢が増長して、彼の人生に悪い影響を及ぼすかもしれないからね。
そこで、わざと、旅行自慢をひっくり返して、ギャフンと言わせて、「何の役にも立たない海外旅行に出て、申し訳ありませんでした…。僕の人生は間違ってました(涙)」と言わせてはじめて、世界旅行者が話をする意味があるわけだよ。
まあ、そんな風に馬鹿にすると、たいていは話の途中で怒り出すのだが、それもまた、彼(彼女)にとってはいい経験だから、僕は敢えてそういうことをやっている。
僕の分類によると、大学生が休暇を利用して海外旅行をしている場合、タイプT−2と分類してある。
これは、医学部も法学部も工学部も、一流大学も三流大学も関係ないので、メモして置いてください。
さて、一流国立大学の医学部の学生と聞いても、それを素直に信じてはいけない。
旅先で出会うのは嘘つきが多いので、本気で自分の病気の相談をすると、間違った治療法を教えられることだってあるのだからね。
「頭痛を治すには、腹痛を起こせばいい」などとアドバイスする人は、多分本物の医者ではないだろう。
まあ、旅先の話は、半分信じて、半分は疑っていていい。
はっきりした嘘つきに出あったら、別にそれを追求することなく、ただ話をしないようにすればばいいだけなんだよ。
でもこの医者の卵は、軽く話をした限り、本物のようだった。
昔は、医学部の学生というものは、さすが医者の卵という、知的で誠実な雰囲気がしたものだ。
また、勉強ばかりしていたので、海外旅行に出る医学生というのも多くはなかった。
現在では、日本全体が軽くなったせいだろうか、旅先でもあちこちで医学部の学生に出会うようになった(ただ、半分くらいはウソだと僕は考えている)。
嘘つきを捕まえても仕方ないので、本物の医者の卵に会いたいときは、医師国家試験が終わって合格者発表までの期間に海外に出るのがいいと、僕は昔からアドバイスしている。
注)《イスタンブールで医者の卵をつかまえよう!》に、医者との出会いかたが、詳しく説明してありますから読んでね♪
正直言って、医者という職業は、なかなか大変なものだよ。
また、誠実にまじめにやっていたら、お金は儲からない。
でも、いい加減にやって金儲けをするつもりなら、なにも医者にならなくても、他の仕事でも一緒だ。
そういう意味では、現代日本でわざわざ医者になるというのは、なかなか難しい選択だろうね。
僕が医者にならなかった理由は、かなり違うけどね。
僕の場合、高校時代の成績はもちろん、十分に東大を狙える位置だったので、無理をすれば東大の医学部へも、まあ、九州だったから九州大学の医学部程度なら確実に合格するレベルだった。
ただ、そのころは、私立大学の医学部の裏口入学や、何千万円という入学金を取る医学部の話がたくさん報道されていた。
そういう時は、国立大学の医学部に安く入ればオトクではないか、と考えるのが普通の人間だ。
僕はそうではなく、「私大医学部に何千万円か払えば誰でも医者になれるのなら、医者になってもちっとも偉くないってことじゃないかな」と考えて、医学部へは行かなかったんだよ。
頭がいいのに医者になんかなったら、世間の見る目は、三流私大の馬鹿医者とおなじ「医者」でしかないんだから。
それと、山崎豊子の「白い巨塔」を読んで、「医学部っていうのも人間関係が面倒そうだし、自由がなさそう…」と、イヤになっちゃったってこともあるかもしれない。
でも本当の理由は、僕は自分の身体のことに異常になくらい神経質に気を使うので、医者になったら周囲が病気だらけで、自分が精神的にダメになるだろうと、そういう気がしたせいなんだ。
それに、もちろん血を見るのが怖かったしね(涙)。
そういうこともあって、医者の問題についてはいろいろと考えているので、医者の卵と話すのに十分な情報や、アイディアを持っている。
そこで、まず「医者はいいですよねー。食いっぱぐれがないし」「医者は看護婦とやり放題なんですよねー♪」「女の子にはモテモテだし」と、持ち上げる。
人と初めて出会ったら、とにかく相手を持ち上げることが大切だからね。
しかし、そんなありふれたおべっかは、医者の卵は聞き飽きているわけだから、次に相手の問題点を指摘しなければ、話は深まらない。
「医者もいいですが、付き合う人間が陰気ですからねー。病人ばかりだし」なんてね。
また、現代日本では、まじめにこつこつやっているだけでは、医者では大金持ちにはなれない。
米国などでは、専門医の収入は非常に高く、専門性を高めてプロになれば、高収入で優雅な生活が出来るのだが、日本では健康保険制度がネックとなっていて、いくら専門化しても、収入が増えないんだよ。
昔の医者は、自分で個人病院を立ち上げて、リベートたっぷりの薬を出しまくり、薬価差益でぼろ儲けをして、健康保険点数のごまかしをやることで高収入が見込めたわけだが、現在では、個人病院の将来は真っ暗で、勤務医として一生働くことになる。
それなら、普通のサラリーマンの方が気楽でいい、ともいえるよね。
さらに、社会全体に医者や医療そのものに対する信頼が落ちてきているので、本当には尊敬されていない。
本当に尊敬されないで、口先だけでミエミエに持ち上げられていると自覚していたら、それは、あんまりキモチよくないよね…。
「これからは医療ミスすると、すぐに訴訟起こされるし、大学教授になったところで、金にはならないよねー」と、同情する。
そうすると、もちろん、将来のことを考えている医学生の共感を得られる。
そして、ズバリと提案する。
「世の中、気楽に金儲けするのが一番いいんだから、包茎手術専門で金儲けはどうかな?医局に残っても金にはならないし、一流大学の医学部だと頭のいいやつばかりだから、出世も大変だ。包茎手術で金をもうけて、女遊びをするのも一つの考え方だよね」ってね。
すると彼は、心の中に思っていたことをズバリと指摘されたようで、考え込んでしまった。
まあ、正直な話、現代では医者になりたくて医者になる人は少ない。
ただ、高校の成績がいいために、ついうっかりと医学部に入ってしまうんだよ。
すると、たしかに学生時代はモテモテなんだけれど、卒業してからの勉強も努力も大変だ。
ま、ある程度の金は稼げるけれどね。
医学部を出て、系列の病院に勤めて、人間関係の網の目に取り込まれてこつこつ働いていくという、どこにでもある日本人の普通の生き方なら、わざわざ医者になった意味がない。
まだ歌舞伎町のホストの方が、面白い人生かもしれないよ。
長い人生で考えたとき、一生医者をやって、幸せになれるかどうか、それはわからない。
という風なことを、次々と吹き込んであげた。
こういう風に、優秀な一流大学医学部の学生に、人生への疑問を抱かせたのだから、説経は一応成功したと言えるだろうね。
と、説教を一丁あがりにして食器を戻して、ビールを別に一本買って、また別のテーブルに座り、周囲をよく観察してみる。
するとそこに、日本人旅行者タイプ9(T−9)を発見した。
T−9も、特に中国には多いような気がする。
次は、T−9の話をするから、お楽しみにね♪
(「世界旅行者・海外説教旅」020)
《そしてT−9の謎は…、さらに海外旅行者の全分類》
T−9の話は、いいネタなので、パクられる可能性があるので、ここでは発表しないことにします。
さらに、ここで、本来は、日本人海外旅行者の分類を全部発表することになります。
(「世界旅行者・海外説教旅」021)
《新鑑真号の中でガイドブックを読むが、旅行計画は立てない》
船の中での生活も、二日目になった。
船は、晴天の太平洋を順調に走り続け、揺れはほとんど感じられない。
僕は早く起きだして、顔を洗い、歯を磨き、トイレに行き、シャワーを浴びる。
これは、船が満員なので、人で混み合うかと早め早めに動いたわけだ。
しかし、船客のほとんどは中国人だし、また日本人旅行者もてきぱきした人はいなようで、みなさん、のんびり寝ているようだった。
新鑑真号はパブリックスペースが小さくて、ゆっくり本を読む所も、人と話し合う場所もないと思っていたが、なんと、食事時間以外も食堂を開放している。
朝からさっそく食堂のテーブルに座って、無料のお茶を飲みながら、ゆったりとガイドブックとノートを広げる。
これから、今度の旅についてちょっと考えてみるつもりなんだ。
さて、今回手許にあるガイドブックはまず、英文定番ガイドブックの「Lonely Planet」が二冊。
「CHINA」と「South-East Asia on a Shoestring」だ。
ただ、CHINAは、1999年にアジア横断をしたときに持っていったものなので、出版が1998年7月の第6版と、ちょっと古い。
シューストリングの東南アジアは、昔から定評のあるガイドブックで、初版は1975年という伝統がある。
僕が持っているのは、2001年10月に出たばかりの11版、最新版だ。
中国へ行くのに、古い版のガイドブックを持ってく理由はというと、ま、ガイドブックの情報は、もともとそれほど頼りにならないからなんだ。
海外旅行で必要なのは、海外の町の地図が正確であることが一番なのだが、まあ、地図はたいして変化はしない(急に地下鉄が出来たりすることもあるが、地下鉄の駅に行けばルートマップがあるしね)。
あとは、旅の交通手段と、そのだいたいの値段、それから移動時間が大切な情報かな。
しかし、こういうものは、常に変化しているので、本当に正確な話は、現地へ行かなければわからない。
現地へ行ってわかっても、それはその時だけのことで、またすぐに変化する。
だから、旅行には、もともと正確な情報そのものが存在しない。
旅行情報は常に変化することだけが、正しいわけだ。
ただ、その目安としてガイドブックを利用するだけだから、情報が古いことがわかっていて使うのなら、十分に使えるんだよ。
旅行計画用のB−4サイズのノートを広げて、簡単に、中国南部の地図を描いてみる。
上海、昆明をページの右と左に書き、その途中に桂林という町の名前を書く。
ノートの下方に、ベトナム国境の線を引いて、昆明や桂林からベトナムへのルートの線を描く。
ガイドブックを読みながら、上海を出て、ベトナム国境を越えるルートを調べると、どうやら、大きく2つあるらしい(厳密に言うと3つだとか)。
一つは、昆明からベトナムのラオカイへ抜けるルート。
もう一つが、桂林から南下して、南寧経由で、ドンダンという国境を越えるルート。
東京で取ってきたベトナムのビザは、出入国の国境に制限がない(以前はビザに記入された国境でしか出入国が出来なかった)ので、どちらを選んでもいい。
上海で問題がなければ、一応雲南省へ行くつもりなので、その中心都市、昆明のことを調べる。
鉄道で行くことを考えて、上海〜桂林〜昆明の鉄道の所要時間と料金をガイドブックから拾う。
手持ちのロンリープラネットでは、上海〜昆明の列車は、なんと62時間かかると書いてある。
これはちょっとばかり、長すぎるね。
62時間といえば3泊4日になるが、言葉も通じない、人がぎっしりと乗っている中国の列車で3泊というのは退屈すぎる。
中国国内線の飛行機ももちろん飛んでいるわけだから、ここは飛行機を使う方が身体が楽でいい。
ま、逆に考えれば、40時間程度なら、ここは列車に乗らないと世界旅行者先生の名がすたるが、60時間を超えているなら、それは飛行機を使っても仕方がないともいえるかしら。
それとも、62時間が長すぎるなら、ルートを途中で切って、途中の景勝地、桂林などにに寄って行くのがいいかもしれない。
ところで、最近日本人旅行者に人気のある雲南省には、いったい何があるのだろう。
本を読むと、どうやら少数民族がいるだけのようだ。
こんなところ、わざわざ行く意味があるかな?
なぜ他の旅行者が行きたがるのだろう?
と、当然の疑問がわいてくる。
しかし、こういう疑問は、いくら本を読んでも、解決されない。
なにか疑問を持ったら、昆明の情報を持っている、昆明に行ったことがある旅行者に聞けばいいだけなのだ。
そして、日本から上海へ向かうフェリーの中には、その情報を持った日本人旅行者が必ず乗船しているだろう。
昼近くなってレストランには人が増えてきた。
まわりをぐるりとチェックすると、背の高い日本人の若者が、1人でテーブルに座ってぼんやりしているのを見つけた。
雲南省情報が得られるかと話しかけるが、彼は初めての中国旅行で、今回の旅行で中国を1ヶ月程度、広州、成都などを回り、四川料理、広東料理を食べるのが目的だとか。
彼は雲南省の情報は持っていない。
「つまらない人間だなー。こいつは存在価値がないな!」と思ったとたん、「雲南省に何回も行ったという人があそこにいますよ」と教えてくれる。
うーん、なかなか役に立つ人間じゃあないか!
なるほど、彼の存在理由、つまり、彼が今まで生きてきた人生の目的とは、僕に雲南省旅行経験者を紹介するという重要な役割だったわけだね。
このように、旅先で出会う人間には、まあ、役に立たない人間っていないんだよ。
だから、すぐに人を判断してはだめだ。
僕は、その雲南省旅行経験者のいるテーブルへ、進む。
4人がけのテーブルには、なんと、二十歳くらいの女の子が3人、少し年上の男性が二人いて、話をしている。
5人はみんな個人旅行の雰囲気なので、「若い女を3人も捕まえやがって!これは一つ説経してやろうかな」と思う。
だって「海外旅行では女の子はみんなの共有物」なんだからね。
男性二人で女を三人というのは、理屈が通ってないよ。
しかし、様子を見ると、中心になっているのは1人の男性で、なかなかいい顔をしている。
ここで「いい顔」というのは、きれいだとか、かわゆいというのではなく、人格がきちっとしている雰囲気だ。
どういう顔かわからない人は、世界旅行者である僕の写真を見れば、僕の言いたい、その感覚がわかるだろう。
人間というものは、単純に言うと、自分の顔を作るために生きているといえるかもしれないわけだ。
そう考えながら、テーブルに近寄り、「すみませーん。こちらに、雲南省へ行った人がいると聞いたんですけど…」と声をかける。
すると、このグループの中心人物、僕がいい顔をしていると描写した日本人男性が、僕の顔をじっと見ている。
そして、彼は、目を大きく開いて、「あれっ、ひょっとして、世界旅行者さんじゃないですか。世界旅行者先生ですよねっ!」と、大声を上げる。
もちろん僕は、世に隠れなき世界旅行者先生様だ。
でも、なぜ彼は僕が世界旅行者先生様だとわかったのだろう??
まっ、それは次回のお楽しみ。
(「世界旅行者・海外説教旅」022)















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