『独立広場で西アフリカ旅行を諦めて、ヨーロッパへ逃げ出そうと決意する』

【セネガル料理レストラン「LE?」@ダカール】
純子さんは「電話をかけなくっちゃ!」と言う。
ホテルの従業員に連れられて、独立広場に面した電話屋(電話がおいてあって、電話を盗まれないように見張りがいるところ)へ行く。
電話をかけるとその料金が800フラン。
ちょっと市内電話をかけて150円は結構高いね。
僕の持つ1万フラン札で払おうとすると、お釣りがないという。
早い話、セネガルでは小額紙幣が不足しているんだよ。
このあとも、買い物をしたが、小額紙幣はみんなボロボロの使い古しの札だった。
これでも経済がうまくいっていないことがわかるよね。
お釣りを探しに少年が飛び出して行って、なかなか戻ってこない。
1万フラン持って逃げたのかな?
しかし、1万フランでは逃走資金に不足したようで、1時間ほどたって戻ってきた。
外見さんの知人とは、ダカールのJICA勤務の女性だとか。
挨拶に行くというので、僕は女子大生さんに逃げられないように、JICAのオフィスの方向へ一緒について行く。
すると待ちかねたのかその日本女性が広場の向こうから歩いてきた。
この中年女性は外見さんと話をして、僕の存在に気がつくとまるでゴミでも見るように睨みつけた。
「なんなの、この汚いおじさんは?」とその目が、叫んでいるのが聞こえた。
「僕は世界旅行者の西本といいます」と挨拶をした。
が、チベットと並ぶ世界の辺境中の辺境、西アフリカでは「世界旅行者」という存在がまだ認知されていないようだ。
この女性は、純子さんの手を引いてあっさりそのまま連れ去ってしまった。
なんということだ。僕も今夜の覚悟を決めていたのに…。
でも世界旅行者のすごいところは、こういう不幸に慣れっこになっているってことなんだ。
不幸、不運、絶望、それが世界旅行者の友達なんだから。
そうでなければ、何の役にも立たない海外旅行などせずに、日本で楽に楽しく暮らしているに決まっているさ。
ふと我に帰ってあたりを見回すと、ダカールの中心である独立広場だというのに、人も少なくさびしい雰囲気だ。
この独立広場も噴水はあるものの水はなくたいして木も多くない。
ただの長方形の広場というだけだ。
旧フランス植民地西アフリカの中心都市ダカールというので、僕は何かもっとフランスっぽい、優雅で文化的な町をイメージしていたのだが。
こりゃハズレだね。
わざわざモスクワ経由で地球の反対側まで来たというのに、タクシーにはボラれ、ホテルもボロボロの割には高く、町の風景もよそよそしい。
こういう身体も精神も疲れ果てたときには、中華料理を食べるのがいい。
ふと見上げると、広場に面してそびえる「Hotel de l'independance」に中華料理店の看板がかかっている。
ホテルの中に入っても人の姿がほとんどなく、潰れているのかと疑うほどだ。
薄暗い階段を上がって入った中華料理店でも、客は僕一人。
中華スープと、焼き飯と、肉と野菜の炒め物に、チンタオビールを三本飲んで1万5千フラン。
それにチップを二千フラン、1万7千フランも払ってしまった。
つまり約3千円。
日本だって一食3千円なんて、高すぎる。
僕にとっては10年前の盆か正月に一回あったかなかったかの高価な食事だよ。
町を歩いて汚い食料品店を見つけると1.5リットルのミネラルウォーターが750フラン、つまり130円弱。
これは日本とどっこいどっこいだぜ。

僕は思った。
「この西アフリカ旅行は失敗だったな」ってね。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20090406