『ニジェール川の川岸はゴミだらけで、ドゴン族のガイドはしつこいが、日本人美女と食事をする』@モプティ/マリ

【モプティへの道で】
モプティのホテルに入ってきた美女に声をかけたら、美女と一緒に黒人が2人くっついてきた。
彼女は車でドゴン族の村を見学してきたばかりで、この黒人2人はガイドと運転手らしい。
明朝バマコへ戻るので、モプティ近くの空港、僕もちょっと降りたことのあるセヴァレへ送ってもらう話をしている。
早い話このセヴァレからモプティへは、タクシーで行くしかない。
しかも案外と距離もあるのでガイドの言い値になってしまうのだとか。
普通のOLさんだと思って話をしていたら、彼女はアフリカの現在内戦中で有名な某国から来たのだという。
この時期、普通の人間はとても入国できるところではない。
僕はピンと来た。「この女の子は国連関係者だなっ」てね。
僕は世界各地でいろんな人に出会うが、国連関係者ともよく会う。
最近思い出すのが、キプロスで同じホテルに泊まっていた日本人。
彼は、イラク駐在の国連職員だったが、休暇をもらってキプロスでセスナの免許更新のためのフライトをしていた。
イラク駐在だと危険地帯だというので休暇がたくさんもらえるのだそうだ。
彼の話では「国連とはいってもみんな仕事はしないし、考えることは退職後の年金のことぐらいですよ。日本人の若い優秀な人が、ボランティアなどで働いているのを見ると、将来もなく金もたいしてもらえないのに、ホントかわいそうに思いますね」と、国際公務員としての心構えを、お酒を飲みながらついうっかり、ポロリと語ってくれたっけ。
ところで彼女の名前は、難民救江(なんみん・すくえ)さん。
アフリカの某国で難民救済活動をしているのだ。
僕は彼女と夕食を一緒にとる約束をして、すぐにホテルから飛び出した。
というのはまずモプティの町の様子を見たかったのと、次の町へ行く交通手段を調べたかったからだ。
ホテルを出てニジェール川沿いに進むと人の多いところへと出た。
川を見渡すと川岸が全部ゴミで埋まっている。
川岸の道路の両側もゴミの山だ。
まあよく考えてみるとマリという国で清掃事業などをやっているはずがない。
ゴミ回収車も燃えないゴミの日もゴミ焼却炉もあるはずがないんじゃないかな。
一日以上かかったトンブクトゥからの移動で疲れていたが、クーラーの音がガオンガオンとうるさい部屋に戻ってパンツや靴下を洗濯をする。
すると突然電気が切れて部屋が真っ暗になる。
トンブクトゥのアザライという一流ホテルでも、電気はよく切れたものだ。
モプティのホテルでもこうなのか。
救江さんと食事の約束の時間にガーデンレストランへ行くと、彼女は軽くドレスアップをして僕を待っていた。
僕を見つけたガイドがドゴンツアーに誘おうとしつこく話しかけてくる。
ドゴン族という奇妙な風習を持つ部族の村を訪問するのが、マリのいや西アフリカの名物になっていて、ツアーでも必ず回ることになっているらしい。
しかし値段を聞くとかなり吹っかけている。
一人ではドゴン族の中にはいって行けないのでドゴン族のガイドを雇わなければならず、それが特に日本人というとぼったくるようだ。
まあ日本人といえば、人がいいというか人との争いをできるだけ避けようとする。
その押されるとどこまでも弱い性格が、西アフリカでも知れ渡っているのだ。
ところが僕は、そんなドゴン族なんかに全く興味がない。
人間なんて見た目は少々変わっているようでも本当に変わっているやつなんかいない。
僕は他人よりも、自分自身のほうがずっと興味深いと思う。
ドゴン族のしつこい勧誘を断って救江さんと庭のディナーテーブルに着くと、まだガイドが話しかけてくるので「メッ」と叱ってあげた。
救江さんとはさまざまな話をする。
まずは、知的な日本人はみんなわかっている「日本はダメだ」という話。
続いてアフリカが援助慣れして将来はなく、ブラックアフリカの未来は真っ暗だという話で盛り上がる。
さらに日本の若い男性は精神的にも弱く、話も面白くない、付き合うならば中年男性が一番いいなどという話をする。
翌日、朝食を取っていると、救江さんがフロントで「私の部屋でクーラーが効かなかったから、ホテル代を返せ!」と交渉を始めた。
仲介を買って出ようとしたが、あっさりと断られる。
「アフリカでは主張するところは主張しないとダメなの!難民の扱いで慣れてるから、西本さんの助けがなくても大丈夫」と強い意志を見せ付けられた。
普通の日本人にはちょっと無理な主張だ。
ま、こんなアフリカなんかを普通の気の弱い日本人は、とてもとても個人旅行なんかできるものじゃないよ。
救江さんは、僕に手を上げて、昨日の運転手と、空港へ向けて出発していった。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20100213