《世界旅行者は西アフリカへ行くように、定められた》

 

最近西アフリカへ行く日本人が増えている。
しかし、ほとんどは西アフリカへ行く必要のない、行っても無駄な人たちだ。

日本人旅行者というのは、日本社会からオチコボレて、日本では生きていけなくなって、仕方無しに海外旅行に出ている。
でも、海外にいると、何か特別な、変わったことをしている気になるし、また、日本でもそう思ってくれる。

本当は日本の中で、何か新しいことをはじめればいいのだが、そんな根性も能力もない。
また、日本という国自体も、何か新しいことをすることから逃げつづけている。

日本人も日本という国家も、歴史で証明されている通り、絶対に自分からは変わろうとしない。
だから、海外旅行者というものに対するイメージも、変化しない。

日本を出ること自体が非常に難しかったころ、海外に対する情報がほとんど手に入らなかった時代に、周囲の反対を押しきって、敢えて日本を飛び出して、好奇心のままに世界を見ようとした人たちがいる。

こういう人たちは、自分自身の考えを持っていた点で、普通の日本人とは違っているので、確かに尊敬に値するだろうね。
ところが、こういう個性的でバイタリティのある人たちの影響で、海外長期旅行は、「個性的で、バイタリティのある人がやるものだ」とのイメージが出来上がってしまった。

そうすると、日本では一旦完成したイメージはそのまま変化することがないので、海外個人旅行をしさえすれば、人は個性的でバイタリティに溢れている、と考えられることになる。

日本のマスコミも、出版業界も、この固定観念を基に、番組を作り、本や雑誌を製造するし、読者もこの幻想を基にして、オトギバナシを反芻することになる。

もちろん実態は大違いだ。
現在では、海外に出ている日本人に、個性もバイタリティも、それどころか、最低の人間としてのマナーも常識も存在しない。

「テレビ番組を見て、海外に出るのを決めたのですが、どこに行ったらいいでしょう?何をしたらいいのでしょう?」という質問が、何の疑いもなく提出されて、それを誰も不思議に思わない、惨澹たる状況なんだよ。

でもまあ、人間なんて、そんな立派な奴はいないのだから、楽しければいいじゃないか。
日本という国では、みんなが固定観念を持ち、みんなが同じように考え行動しないと非難されるシステムなので、そんな窮屈なところから脱出するだけでもキモチイイのは確かだしね。

しかし、こういうふうに素直に自分を見詰められる日本人は、ほとんどいない。
日本人は、海外に出る理由を、無理矢理別のところに求めようとする。

だから、「私はタイ(まあ、どこでもいいんだけどさ)が好きだから、タイに何回も行くんです!」なんてお笑いをいう人たちも多い。
僕はインターネットのアジア関係の掲示板で、「君はタイが好きなんじゃない。日本が嫌いなだけなんだよ!」と、親切にも書いてあげたことがあるが、図星を突いてしまったというか、蜂の巣をつついてしまったというのか、その場がワーッと一斉に盛り上がって、僕はとたんに出入り禁止になってしまった(笑)。

集団の中で生きることに慣れきった日本人は、一人でいると、不安でたまらなくなるものだ。
で、そういう集団意識をスパッと切り捨てたのが、日本人海外旅行者のはずだ。

しかし、最近の日本人旅行者諸君は、日本にいるときと同じに、いつも、他の誰かと、つながっていたい寂しがりやさんばかりだ。
海外に出るときも、日本と連絡を取りつづけ、海外旅行好き(つまり、正真正銘のオチコボレ)のグループを作り、互いの旅行経験を誉めあっている。

つまり、日本人は人間関係という幻想の中に生き、夢幻の中に死んでいく。
でもいいさ。自分がたいした者だと思えたまま、死んでいけるのならね。

死ぬ間際になって、いくら友達が多くても死ぬのだけは一人ぼっちだ、とわかるだろう。
今までの友達とわいわいやるだけが目的の人生がマボロシだった、と悟らない限りはね。 

さて、生活費が安くて、セックスもドラッグも簡単に手に入る、日本人への差別が少ない、旅行の簡単な、東南アジアが大好きな、ありふれた日本人旅行者が、西アフリカに行く理由があるだろうか?

もちろん、こんな日本人旅行者が西アフリカに行く理由なんか、存在しない!

だって、西アフリカには、これという名所旧跡もないし、特に食べ物がおいしいわけでもなく、名のあるビーチリゾートもなく、野生動物を見やすいというのでもない。
その上、日本からの航空運賃が高いばかりか、ホテルや食事にかかる費用も安くはない。

おまけに、人口が増え続け、砂漠化が進み、常に内乱やクーデターが起こり、治安が悪く、マラリアやエイズを始めとする、様々な熱帯性の伝染病も多い。
こんなところには、金をもらっても行きたくないと考えるのが、普通の常識のある人間だよね。

まあ、「人間とは、他人より自分がエライと思いたいだけのお猿さんの進化したもの」(世界旅行主義より)だとは、何度も言って来た。

来ても仕方がない、こんなひどい西アフリカにわざわざやって来る日本人というのは、東南アジア旅行で、旅行者の間の旅行自慢合戦に破れ、西アフリカ旅行で一発逆転を狙う、寂しい人間だと、相場は決まっているのだ。

ところが、もちろん世界旅行者が西アフリカに行く場合は、これとは全く違う。
世界旅行者は自分で旅先を考えることはない。
神によって、旅先を指定されることになっているのだ。

思い返すと、僕がフランス語を勉強し始めた本当の理由は、西アフリカへ来るためだったのだと、今になってわかる。

僕がむかし新橋にあった「ソニーLL」という語学学校のフランス語コースに通い始めたのは、フランス語を学ぶためではなかった。
結婚していた相手が僕に愛想を尽かして、家に帰って来なくなったので、暇つぶしにフランス語の夜間講座に通い出したのだ。

気楽にはじめたフランス語だったが、フランス語初級のクラスの先生は、フランス留学から帰ったばかりの、日本人美女だった。
中級クラスに上がると、クラスメートには、大学でフランス語を専攻した、若くて知的な美人OLさんなんかも多い。
すると、女の子に馬鹿にされたくないので、ついついがんばっちゃった、とこういう流れになって、フランス語がさらに、どんどんうまくなった。

上級クラスは、若い魅力的なフランス人女性が先生だったので、ますます勉強に弾みが付き、アーベーセーの完全な初歩から、たった一年ちょっとで、フランス語検定試験の二級に合格してしまった。

この日本女性の美人先生、美人OLのみなさま、美人フランス語教師がいなければ、僕はフランス語を続けていなかっただろうね。
僕が良く言う、人間の行動の根本原因はセックスだけだということが、フランス語の学習過程でも、明白に事実によって証明されているわけだ。

そのフランス語検定試験の一次の筆記試験は無事合格し、二次試験はフランス語での面接だった。
そこで、「あなたはなぜフランス語を勉強しているのですか?」と、質問された。

しかしそのころの僕は、まだ「フランス語のレッスンのあとで、かわいい女の子とワリカンでお酒が飲めて、どんどんシモネタをとばせて、とても楽しいからです♪」と正直に言えるほど、人間が出来ていなかった。

それで、その時、ふと頭の中に浮かんだことを、ついうっかり、しゃべってしまったのだ。
それが「西アフリカに興味があり、西アフリカ旅行に行くためです!」という答えだ。

その時、僕は確かに聞いた。
運命の歯車が、カチッと回った音を。

だから、この言葉によって、この時に、僕が西アフリカへ旅することは、決定してしまったんだよ。

しかし、僕が実際に西アフリカへ行くまでは、さらに数々の困難、ありとあらゆる障害が待ち構えていたのだ。