《世界旅行者も、他のみんなと同じように歳を取る》

 

西アフリカに行きたくないなら、西アフリカに行くのをいつまでも先延ばしにしてたらいいさ。
しかし、先延ばしをしているうちに、どんどん歳を取って、西アフリカに行く体力がなくなってしまったらどうなるだろう。

それは、僕がフランス語の試験の時に、ついうっかり口にした「西アフリカへ行きます」という神への誓いを裏切ることだ。
それだけは、やってはいけない。

世界旅行者が口にした言葉は、なにを持ってしても守らなければならないのだから。
それが一般人とは違う、世界旅行者の苦しいところだね。

僕は、この人生で、地位を得ることもなく、富を手にすることもなかった。
これからもないだろう(でも、地位も富も、決して拒んだりしませんから、よろしく〜♪)。

僕が自信を持って言えるのは、自身が誠実に、自分の言葉通りに生きて来たということだけだ。
もちろん、自分に誠実に生きるということは、他人を傷つけるということでもある。

僕はその傷を、自分のものとして、心に血を流しながら、生きて来た。
だから、わかって欲しい。

僕に傷つけられた人に。
僕は君以上に、自分自身を傷つけていたのだということを。

だから、僕に傷つけられても、あっさりと諦らめて欲しいのだ。
人を傷つけるのが僕の定めなら、僕から傷つけられること、それが、君の運命なのだから。

それはそれとして、人は必ず歳を取る。
いくらいつまでも馬鹿なことを言って、馬鹿なことをやっていても、世界旅行者もまた、歳を取るさ。

若いころは、必ず毎朝、朝立ち(朝立ちとは、起きたときにポコチンがボッキしてカチンカチンになって、先っぽが少し濡れている状態のことです)があったものだ。
ズボンが突っ張って困るので、そのままでは外出できず、まず軽く3回はマスをかいて精液を抜かないと、何も出来なかったっけ。

でも、もう僕も、結構な年齢だよ。
朝立ちも、一週間に平均5日しかなくなったし、毎朝の習慣のマスターベーションを一回しただけで、ぐったりと疲れてしまう。

10分ほど休息を取らないと、続けてマスがかけないほどに、体力も弱ってしまった…。
昔、コンビニでエッチ本を立ち読みして興奮したまま外に出たら、コンビニの店員が追いかけて来て、「お客さん!懐中電灯を万引きしては困りますね」と、僕のボッキしたポコチンをグイッと握られたことがあったっけ。

そういうほのぼのとした懐かしい時代も、とっくに過ぎて、最近ではよほどの変態雑誌でないと、興奮しなくなった。
あと数年すれば、海外旅行で10時間以上も、じーっと狭いエコノミークラスの席に押し込まれていることにも耐えられなくなるだろう。

つまり、エコノミークラスに乗れなくなるので、僕の海外旅行も終わりだ。
だって、自分の金でビジネスクラスやファーストクラスに乗るような、そんな甲斐性はないんだからさ。

若い人には、絶対に理解できないことを言おう。
歳を取って体力が衰えるということは、はっきりとわかるだけに、とても恐ろしい。

僕は大学時代、重量挙げをやっていて、バーベルを見るとすぐに持ち上げたくなったものだ。
ヤングサラリーマン時代は、宴会の後には必ず、会社の女の子を、えいやっと、持ち上げていた。

つい最近まではまだ、そういう気持ちがあったが、いまは、トレーングジムに行って、バーベルやトレーニング器具を見ると、「重そうだなー、持ち上げると疲れそうだなー」としか思わなくなった。

はっきりと体力は下り坂にかかって来たし、そうなれば、僕のただ一つ頼りにしている知力が衰えるのは避けられない。

歳を取って、体力も知力も、さらには感性も瑞々しさを失ったら、海外旅行に出ても仕方ないよね。
だって、何にも驚かなくなるのだから。

だから、海外旅行は、若いときに行かなくてはいけないよ。
一生懸命働いて、歳を取って、お金をたくさん貯めて、老後の設計をきちんとして、それで海外旅行に出ても、つまらない。

だって、海外旅行の経験が、自分自身の人生に何の影響も与えないのだから。
それが日本人の大きな間違いだね。

日本人は、若いときから、いつも老後のことを心配して、老後のために生きている。
老後のことを考えすぎて、今を生きることがない。

そして、老後を考えているうちに、考えすぎて、老後の不安で、若いときに自殺する人までいる。
これは、間違っているわけだ。

人は、今だけを生きればいい。
老後は考える必要はないんだよ。

だって、老後を考えたら、僕はいま、自殺してしまうに決まっているのだからね。
というわけで、西アフリカに行くなら、僕は今年(2001年)しかないと考えた。

これを逃したら、西アフリカに行くことはできないだろう。
そこで、世界旅行者は西アフリカへ行く、一番楽な方法を考えはじめたってわけだね。

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