《国境の町では、どんな不思議なことが起きても仕方がない》
河口の写真集( 鉄道駅 / 鉄道橋 / バスターミナル / 道路橋

【河口火車駅】

【河口(左側)とラオカイ(右側)を結ぶ鉄道橋】

【河口のバスターミナル/左の道の突き当たりに「東方賓館」が見える】

【中国(右側)とベトナム(左側)を結ぶ道路橋】
ベトナム商品を並べた店を冷やかしていたら、突然腕をつかまれて、ぐいっと引っ張られた。
そのまま、商店街の奥へ、ズンズンと連行されていく。
最初は中国公安当局に逮捕されたのかと思ったが、ちょっと様子が違うようだ。
僕の腕をつかんでいるのは女性の手なんだ。
もちろん、女性の公安ということも考えられるが、後ろ姿を見ると、ベトナムのアオザイ姿。
僕は、引っ張られながら、脳味噌を、頭蓋骨の中で、ぐるぐると回転させた。
小脳と、前頭葉の位置を入れ替えて、考えてみる。
アオザイ姿の女性、普通に考えれば、公安ではない。
公安は当然、制服を着ているものだからね。
すると、なにかの密輸組織が、僕を運び人と間違えたのか?
しかし、それも考えられない。
というのは、僕は日本国内ではちょっと変わった、怪しげな人間と見られることもある。
海外にでて疑われたことが一度もない、まじめな普通の日本人なんだからさ。
国境の町の人間は、毎日毎日たくさんの人が通り過ぎるのを見ている。
それなら、僕が普通の日本人だと、顔をちょっと見ればわかるはずだ。
僕はさらに深く考えた。
そこに、大理の菊屋の旅行情報ノートに書いてあった河口のベトナム女性情報が頭にバチバチッと展開する。
わかった、この謎が解けた。
このアオザイ姿の女性は、僕をお客だと思ってどこかへ連れていこうとしているんだよ!
まあ、新宿歌舞伎町の客引きみたいなものかな。
もともと国境の町というものは、怪しげなものだ。
思い出すのが、マレーシアからタイへ入ったばかりの「ハジャイ」の町。
ここは、町中が新宿歌舞伎町化していた。
また、カンボジアの国境の町には必ず、カジノがあるんだ。
特に有名なのがポイペトだけどね。
ここはとにかく怪しい。
怪しいという意味は、夜は歓楽街になるわけだよ。
河口では、まだ夕方近いが夜ではない。
でも、日本でも今では、昼間からやってるキャバクラ、つまり「昼キャバ」があるくらいだ。
でももちろん僕は、客引きに手をつかまれても、昼キャバにも、夜のキャバクラへも行く気が全くない。
手を振り払って、逃げました(笑)。
これくらいかなー、変わったことって。
あと、さすがに、国境の町らしく、店屋は多かったね。
河口には結構大きな建物もあったが、基本的には、小さな町だよ。
一度歩くともう、街は全部見終わったって感じだね。
河口の中心のちょっと安っぽい食堂で、ビールを飲みながら、旅行ノートに今日の出来事を記録する。
今日一日で、ずいぶん新しい、面白いことが起きたね。
日本にいたら、絶対にこれだけの変わったことは起きなかった。
旅に出た一日は、最低でも日本にいる一か月以上の、ひょっとしたら一年以上の面白い話ができるね。
人が生きられるのは、せいぜい70年か80年、そしてまともに身体も頭も動くのはせいぜい50年。
だとしたら、50日も旅をすれば、50年分の面白いことが経験できるのではないかな。
もちろん一つの場所に留まって(沈没して)いれば、それは日本にいるのと同じことだけどね。
僕のこの旅行を見ればわかると思うけれど、とにかく移動し続ける、常に変化する、これが旅の本質なんだよ。
東方賓館に戻り、ベトナム向けの中国土産店で購入した中国製のつまみを食べて、中国ワインを飲む。
そして、どこからか持ってきた、文春文庫の「アメリカ細密バス旅行」を読む。
著者を見ると、城山三郎だってさ。
城山三郎といえば、日中戦争を拡大した時の外相、首相だった広田弘毅を描いた「落日燃ゆ」で知られている。
いろいろ調べてみると広田弘毅は、確かに日本の戦争拡大に重大な責任がある。
彼がやった「軍部大臣現役制の復活」、これこそが陸軍が日本の政治を壟断するのを許す原因となるんだから。
わけだから、広田弘毅は死刑になっても無理はないんだけどね。
でも著名な作家、城山三郎も、昔は旅行記を書いていたわけか。
ということは、僕も有名作家になれるってことかもしれないね♪
しかし世界旅行者は、旅行記を書きさえすれば誰でもが城山三郎になれるわけではない、という理屈までは思いつかなかった。
だってここは、中国とベトナムの国境の町なんだから、どんな不思議な、ありえそうにない考えが浮かんでも、それは許されるってことじゃないかな。
(「世界旅行者・海外説教旅」#53)