上海〜バンコク旅行記(2002)、第75話 《ホーチミン廟、シクロ運転手の人生を破壊する5万ドン札@ハノイ/ベトナム》

【ホーチミン廟@ハノイ/ベトナム】
ハノイ駅で、夜11時のE1列車の時刻を確認して、ディエンビエンフー通りを歩く。
そして思いがけなく、レーニン像を発見した。

かなりびっくりしたが、あとで調べると、レーニン像が立っている公園も「レーニン公園」というものだった。
レーニン像の写真を撮って、さらに歩く。

すると、官庁街のようなところへ迷い込む。
何か特別なことがあるのだろうか、通りを警官がふさいでいた。

車に乗っていれば問題かもしれないが、歩行者には全く関係ない。
何か聞かれたときのための身分証明としてのパスポートが、ジーンズの左前ポケットにあるのを確認する。

「Lonely Planet」を読むと、「ホーチミン廟に入るところで荷物を預けさせられる。ここでパンフレットを4千ドン(約30円)で買わされるが買わなくてもいい」とある。

僕もデイパックを預けに行った。
すると、「あなたは日本人か?」と(英語で)聞かれる。

「イエース、アイムジャパニーズ」と答えると、日本語のパンフレットを手渡されて、4千ドン取られた。
でもまあ、いいじゃないか。

荷物の預かり料金は無料なんだから。
僕もホーチミンおじさんに敬意を表して、スパッと4千ドン(30円)払ったよ。

ホーチミン廟に入ったんだけれども、見物客が多かった。
天安門広場の、毛主席紀念堂で見た毛沢東の保存遺体の時も、長蛇の列だったが…。

しかし、例えば日本で、誰か有名人の遺体を保存して公開したとしても、まあ見る人はいないんじゃないかな。
日本人としては、その感性がよくわからない。

ひょっとして国民を動員しているのかしら。
でも、北朝鮮ならともかく、中国やベトナムのような金儲け至上主義の国で、権力者の遺体をタダで喜んで見に行くとは思えないが。

これは永遠の謎として、取って置きましょう。
というか、どうでもいいことだしね(笑)。

ホーおじさんの遺体を見たあと、またディエンビエンフー通りを、歩いて戻っていると、いい加減疲れを感じた。
自転車の前に座席を付けた「シクロ」というものが、僕に寄ってきた。

僕は1994年にサイゴン(ホーチミンシティ)に行った時、シクロに乗ったことがある。
その時は、シクロの運転手も結構親切で、普通に乗って普通に走り、約束通りの場所で降ろしてもらった。

料金も約束どおりだったが、もちろん、僕はチップをちょっと弾んだ。
特に問題はなかった。

ところが、この旅行をやっている2002年になると、シクロの悪評がすさまじい。
「地球の歩き方」にも、「シクロのトラブルが多いので個人では乗らないほうがいい」というアドバイスがあるほどだ。

でも、世界旅行者の考えは大きく違う。
「どんなトラブルがあるのか、体験してみてもいいな〜♪」という感じだ。

同じ道を歩いて帰るのは、年寄りには精神的にも肉体的にも、疲れるからね(笑)。
声をかけてきたシクロと交渉する。

シクロ運転手の最初の値段、「ホアンキエム湖まで、3万ドン(2ドル、240円)」は、もちろん高すぎる。
それを、2万ドン、1万ドン、と値下げさせる。

1万ドンは80円程度なので、それ以下に下げるのもかわいそう。
「Lonely Planet」の地図を見ると2キロ程度の距離になる。

あとで調べると、2kmで1万ドンはごく普通の料金みたいだった。
しかしこのシクロの運転には感動した。

とにかく、むやみに交差点に突進していく。
自転車の前に座席が付いているのだから、メチャ迫力があるよ(笑)。

ジェットコースターよりも興奮するかもしれない。
そして、他のシクロや自転車、バイク、車と、ぶつかりそうになりながら、うまくかわして、ホアンキエム湖の近くへ行く。

シクロはホアンキエム湖へは行かない。
でも湖は見えているので、シクロを降りた。

約束の1万ドンに、観光客でもあるし、結構面白かったので、1万ドンのチップを入れて、2万ドン払おうと考える。
ところが、このシクロ運転手は2万ドンを断る。

そして、僕の財布を見て、5万ドン札(4百円)を指差す。
5万ドン札を、5千ドンだと言い張る。

そして「5千ドン、オッケー♪」と、5万ドンを取ろうとする。
いくらなんでもそれは無理、世の中通らないだろうと、僕は思う。

でも僕の心の中には、別の考えが浮かんだ。
「このシクロのおっさんは、なぜミエミエなのに、5万ドン札を5千ドン札だと言い張るのだろう?」との疑問だ。

一つの答は、同業のシクロ運転手仲間に「外国人は5千ドン札と5万ドン札の違いがわからないから、5千ドンと言って、5万ドンを取れ」と聞いた。
もう一つは、実際にそういうお客がいて、間違って5万ドン札をもらった経験があるってこと。

ここで、最初の約束通り1万ドンを渡して、あっさり立ち去るのは簡単だ。
でもそれは、普通の人間のやることだ。

僕はここで、「シクロ運転手のおじさんの言うとおりに、5万ドン札を渡そうかしら♪」と考えたんだ。
そしてこの僕の考えは、とても深いんだ。

シクロ運転手のおじさんが、5万ドンを5千ドンと言い張るのはおじさんの勝手。
普通の人間は誰も、そんなミエミエの話には乗らない。

そこで世界旅行者はこう考えた。
おじさんは、5万ドンを5千ドンと言い張ることで、「ひょっとしたら、5万ドンがもらえるかもしれない」という希望で生きている。

無理な主張だが、いつかそんな馬鹿な話に騙される人間がいるかもしれない。
おじさんが生きている理由(Raison d'etre)は、いつかそういうお馬鹿な人間に出会うこと、かもしれないね。

ということは、ここで5万ドンは5万ドンだと僕が見破っても、ちっとも面白くない。
ありふれた話だ。

でも、もし僕が5万ドン札を5千ドン札だと勘違いした、としたらどうなるだろう?
おじさんはもちろん喜ぶ。

でも、おじさんはその成功体験に一生縛られてしまう。
つまり、1万ドンの仕事をして、気前のいい外国人からチップを1万ドンもらっても、もう喜べない。

だって一度、5万ドン札を5千ドンと間違えて渡した旅行者(僕のことね)がいたのだから。
一度人を騙して、4万5千ドンのあぶく銭を手に入れてしまったら、もう、1万ドンのチップでは満足できなくなるだろう。

僕がわざと5万ドン札を渡してしまえば、彼の人生を一生惨めなものに変えられるかもしれない。
これは、他人の人生を根本から変えられるという意味で、とても魅力的だったね。

だから僕は、5万ドン札を5千ドン札として渡そうかと、真剣に悩んだんだ。
ここまで深く考えて、5万ドン札を渡せたら、僕は本物だね。

でも、5万ドンと言えば、ベトナムではビールが思い切り飲めるお金。
人の人生が変わるよりも、ビールを飲んで気持ちよくなったほうがいいんじゃないか。

そこで、世界旅行者みどりのくつした(みどくつさん/みど先生)は、ビールを選ぶことにした。
結局、料金とチップ込みで、2万ドン渡して立ち去りました。

5万ドンで人一人の人生を破壊できたのに、お金が惜しくて、やめてしまった(涙)。
ひょっとして世界旅行者は、本格的にすごい人間ではないのかもしれないね(笑)。

【旅行哲学】どうでもいいことでも、無理に考えるともっともらしい話が出来るね。
http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/20080401#p1