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【文化放送でインタビュー(2005)】
2004/05/27 「大陸侵略は避けがたい道だったのか」を読む。
「大陸侵略は避けがたい道だったのか」 近代日本の選択
岩井忠熊(いわい・ただくま) 著
かもがわ出版
2000円
1997年12月20日 第一刷発行
日本の一般常識として、日清戦争、日露戦争までの日本の戦いは中国やロシアの侵略に対抗する自己防衛の正等な戦争だが、満州事変から、日中戦争、大東亜戦争は侵略戦争である、と考えられている。
しかし、この本によると、もともと朝鮮半島をダシにして、日清戦争を起こしたこと自体が侵略行為だという。
中国が軍事力を増強した、そのもともとの理由が、日本の侵略に対抗するためだった。
また、中国が欧米諸国に権益を譲っていったのは、日清戦争の対日賠償金を払うためだという。
さらに、朝鮮や中国がロシアの勢力を引き込もうとしたのは、日本の軍事力に対抗するためだった。
ということは、その時代の東アジアで、日本が軍事力を増強して、朝鮮半島、中国大陸への進出を考えなければ、もともと日清戦争も日露戦争も起きなかったのではないか。
実際、日本は島国だし、国内の鉄道を整備して、要地に砲台を作って、防御的な軍隊さえ持てば、軍事的に日本を侵略できるだけの能力がある国はなかった。
ヨーロッパの先進国でも、スエーデンやスイスのように、十分な軍事力がありながら、近代になってからは戦争を避けた国もあったわけだしね。
日本の満州国への移民や、戦後の中南米への移民政策を見ても、移民政策によって日本が利益を得たことはない。
移民をなくした後の、大東亜戦争後の日本の繁栄を見れば、もともと軍事力に莫大な税金を使ったり、海外進出をしたりせずに、コツコツと国内の整備をやっていた方が日本国としてはよかったんじゃないかな。
僕の考えでは、日本人は欧米人とは違って、基本的には戦争が嫌いだ。
また、狩猟民族の欧米人のような、戦略思考もできないし、農耕民族の日本人は冒険が好きではない。
戦争向きじゃないんだよ。
それなのに、日清戦争、日露戦争のために、ものすごい国費をつかって、軍備増強をした。
その金は、国民に重税を課したからできたわけだ…。
そうかんがえると、もともとの日清戦争も日露戦争も、意味がなかった。
無駄な金を無駄に使ってしまったともいえるよね。
それは例えば、日本の町並みの貧弱さを見ればすぐにわかる。
日本は国民の富をすべて、軍隊に使ってしまったせいで、明治維新以降の町並みは、とても貧しいよね。
日本人は生真面目だから、軍隊に入れば死ぬまで戦ってしまう。
戦争をまじめにとらえすぎてしまうんだ。
これはやはり、文化的に貧しいからなんだろう、と僕は思うよ。
日本民族は、もともと本格的な戦争には向いてないので、やはり、戦争はしない方がいいと思うね…。
2004/05/28 テレ朝「スーパーモーニング」で大谷昭宏氏は、本のタイトルをわざと変えてしゃべった。
僕のサイトは、僕の読書記録保存場所としてつかっている。
つまり、サイトに自分が読んだ本の感想などをアップロードした後で、検索かけて捜すことができる。
今朝の報道で、イラクで日本人フリージャーナリストが車を銃撃されたという話があった。
そのジャーナリストの1人が、「大谷信介」氏だという。
イラクに関連したフリージャーナリストといえば、なんとなく読んだ記憶があるので、自分のサイトを検索してみたら、確かに大谷信介氏の本を読んでいたことを発見する。
それが、「イラクの中心でバカとさけぶ」を読む。だけどね。
このすぐ次に、コラムニスト勝谷誠彦「イラクの中心でバカをさけぶ」で調子に乗って、イラクで強盗にあう(涙)。 があるのが、楽しいでしょ(笑)。
社会にも、インターネットにも情報があふれているように見えながら、面白いと思ったものは、自分で記録しておかないと、知りたい情報は案外と捜せないものなんだよ。
それはそれとして、これをやっておくと、日本のジャーナリズムのウソがコロッとわかったりする。
例えば、今朝、テレ朝のスーパーモーニングで、イラクで車が襲撃されたその被害者の橋田信介氏について、コメンテーターの大谷昭宏氏は、

>>彼の本『イラクの中心で平和を叫ぶ』

と紹介したんだけれど。
もちろん、この本の本当のタイトルは「イラクの中心でバカと叫ぶ」だよ。

http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/ideas/pensee23.htm#2004/02/27

フリージャーナリストがイラクへ行って、襲撃されたら、「バカじゃないの」と思う人が多いわけで、そこで本のタイトルが「イラクの中心でバカと叫ぶ」では、まずいと大谷氏は一瞬思ったのだろう。
そこで、わざと本のタイトルを変えてしゃべってしまった。
こういう、姑息な偏向報道、それを許す心性、それがあるから、日本のジャーナリズムはダメなんだよ(涙)。
2004/05/30 「新・世界旅行者の部屋」と「新・世界旅行者の部屋・ANNEX」を作りました。
「世界旅行者の部屋」を旧ニフティサーブの時代から http://member.nifty.ne.jp/worldtraveller/ で展開してきて、それなりのアクセスを稼いできた。
ところが@niftyが、ニフティサーブ時代のこのサイトを閉鎖することにしたってさ。
これは正直、インターネットを主催する会社としては、やってはいけないことだと思うよ。
というのは、僕のサイトに限らず「http://member.nifty.ne.jp/******/」というURLでがんばっていたサイトは歴史が長い。
すると、これまでの長い期間で、インターネットのあちこちで話題を振りまき、そのサイトのいろんな部分がリンクされていたり、検索サイトに引っかかっているんだ。
インターネットの本質は、結局、大きな図書館みたいなものなんだよ。
とすれば会社がURLを変えて(今までのURLを消して)しまうってことは、今まである場所にあって、いつでも検索できて、だれでも読めたサイトを、インターネットの世界から消してしまおうってこと。
これは、図書館の本の検索カードをガラッと勝手に、変えてしまうという暴挙なんだから。
これからも、@niftyは、インターネットプロバイダーとしての責任、社会的役割というものを全く自覚していないんだなーと思う。
まあ、パソコン通信時代、いろんな人が一生懸命、金と時間をかけて積み上げてきたフォーラムのログを(まあ僕は、パソコン通信時代のログは何の役にも立たないとは思うけどさ)、消してしまった会社だからしかたない。
「http://member.nifty.ne.jp/******/」という場所を永遠に残しておいたところで、たいした金も手間もかからないと思うんだけどさ…。
でも逆に考えると、@niftyという会社だっていつ消滅するかわからないわけだ。
そういう意味では、社会的にある役割を果たしてきたインターネットのサイトは、国立国会図書館か何かがインターネットアーカイブを作って、残していくという作業も、これから必要とされるだろうね。
それで、いろいろ考えたのだけれども、「新・世界旅行者の部屋」を、とにかく@niftyで、http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/ に移動してみた。
これは、「世界旅行者の部屋」から「新・世界旅行者の部屋」へのジャンプタグをおいたら、簡単に移動できているみたいだ。
また別に、「新・世界旅行者の部屋・ANNEX」を、http://worldtraveller.hp.infoseek.co.jp/ に作ってあります。
こちらでも何か書いていくつもりですから、時々チェックしてください。。
これは、インフォシークの方が@niftyよりも現在でも容量が多いということ。
将来的にインターネット接続だけの、もっと安いプロバイダーができたら、@niftyから移動するつもりだからです。
でも、僕のサイトは、http://www.midokutsu.com/でアクセスすれば、すぐに見つかるようになってます。
ヤフーの登録も、こちらでやってますから、これからもよろしくね♪
2004/05/31 「遥かなインパール」「静かなノモンハン」を読む。
「遥かなインパール」
伊藤桂一 著
新潮社
2000円
1993年2月20日
「静かなノモンハン」
伊藤桂一 著
講談社
1200円
1983年(昭和58年)2月16日 第一刷発行
僕は(昔から読んでいたんだけどさ)特に5年位前から戦記物の本を、ずいぶん読んできた。
すると、当然、だんだんと一般社会でも戦記物の人気が高まってくる。
だって、僕は常に時代の先取りをする世界旅行者先生さま、なのだからね。
例えば、北朝鮮ものの本を片っ端から呼んでいた時代もあって、そのあと北朝鮮事情が日本のマスコミの表面に出てきた。
僕がよく顔を出す、昔、世界旅行者協会が集合場所にしていた、新橋駅の「新橋駅前書店」でも、店の奥のところの、サラリーマンに大人気のエロ本コーナーの横に、新しく戦記物のセクションが作られた。
戦争の話が僕を惹きつけるのは、そこにはぎりぎりの人間が現れるからだ。
そして、日本人というものが、キレイに出てくる。
ノモンハンは、これは、日本陸軍の装備が完全に時代遅れになったことがミエミエになった戦争だった。
この時の、ソ連軍と日本軍の砲弾の消費量、両軍の戦車の装備や能力に、将来の日米戦争が見事にシュミレートされていたのだが、誰もそれを見つめようとしなかった。
日本陸軍はただ白兵戦と夜戦だけで戦争を乗り切ろうとした。
確かに、中国では日本軍は貧弱な装備で、それぞれの戦闘に勝利していたような状況もあった。
ただ、中国軍は撤退も一つの戦略としてやっていた。
世界常識では戦ってすぐに兵を引くのも、一つの立派な戦略だったわけだ。
日本軍は、そこがわからなかった。
わからなかったというのではなくて、おそらくは、撤退しないということが一つのこだわり、自己目的化していたんだろうね。
日本陸軍では、戦闘で引くことよりも、戦闘で死ぬことの方が評価されていた。
ノモンハンでは、連絡が取れない場所で、絶望的な状況から撤退した士官たちが、ただ撤退したというだけで自決を強要された。
つまり、陸軍は戦争で勝つことよりも、撤退せずに死ぬことの方が目的になっていたわけだ。
これでは、個々の戦闘には強くても、戦争には勝てない。
ノモンハンもインパールも日本陸軍が大負けに負けた戦争だった。
その中で、兵や下士官は、信じられないくらい勇敢に戦った。
しかし、上層部の将官は、根性なしの、出世亡者ばかり。
後方にいて、連日芸者を上げて酒を飲んで、失敗を誤魔化して、さらに出世を続けた。
ま、そんなことをやっているうちに、戦争に負けて国を滅ぼし、軍隊自体がなくなったわけだが、それでも、軍人恩給をもらって楽に生きてきたわけだ。
日本軍の特徴は、兵や下士官は強いが、上層部が完全にダメだということ。
これは、昔も今も、日本社会のすべての面に共通している。
それが結局、日本には世界戦略がなにもない、もともと世界戦略をもてるような民族じゃない、という僕の確信なんだね。
だから、日本としては、世界戦略もあり、知的な戦争もできる、まともな国の後にくっついて、一生懸命汗を流すのが、合ってると思うんだよ。
著者の伊藤桂一氏は自身も中国戦線で長期に従軍経験のある、戦争小説が得意の作家で、第46回昭和36年(1961年)の直木賞受賞者だ。
その時の受賞作が「蛍の河」で、これも、中国戦線を題材にしている。
伊藤桂一 → http://homepage1.nifty.com/naokiaward/jugun/jugun46IK.htm
ただ、今現在は、あんまり名前は知られていないんじゃないかな(失礼!)。
僕も、新橋駅の古本市で本を見つけて、興味を持って、図書館で取り寄せたくらいだから。
この本を読んで、ちょっと思ったことがあって、それは、戦記物というのは、小説にならないんじゃないか、ってこと。
自分の実体験を自分で書かないと、いくら綿密な取材をしても、無理があるしね。
もちろん戦争を背景にした小説というのは、ありえるわけなんだ。
伊藤氏のように、戦争を取材して戦記物の形で、他の人の体験を描く場合は、どうしても小説的なウソが入るよね。
それは、旅行記もそうなんで、旅行を背景にした小説は成り立つんだけれども、旅行記の形式で他の人の体験を書くことは不可能だ。
旅行ガイドブックなんかも、ちょっと読んだだけで、書いた人が本当に旅行したのかどうか、それがはっきりとわかるのが恐ろしいんだ。
資料を集めただけで旅行経験がほとんどなくて、ガイドブックをまとめていることは、すぐにわかるものね。
なにを言いたいかというと、光人社なんかが出版している、戦争体験記録は、永久に読者が続くだろうけれども、他の人の体験を小説形式で記録したタイプの戦記物は、ワンクッションあるだけに、魅力がないだろうってこと。
文章の上手さ、表現力というものは、現実の体験は超えられないだろうってこと。
つまり、実体験から旅行を分析し旅行を考え、また実際の自分の旅行記を書く僕のような本は、永遠に売れ続ける。
しかし、安ライターがせいぜい一ヶ月程度旅行して、適当な人との出会い、感動をでっち上げたウソだらけの本は、絶対に売れないってことだね。
これは、ちょっとした、再発見だった。
2004/06/03 「新・世界旅行者の部屋」、76万アクセス突破御礼!プラス「長崎小学生殺人事件」
「世界旅行者の部屋」から「新・世界旅行者の部屋」にサイトを移動して、アクセスが下がるかと思ったら、今朝、76万アクセスを突破していました。
ジャンプタグを入れているので、「世界旅行者の部屋」に来た人は、自動的に「新・世界旅行者の部屋」に送り込まれてしまう。
だから、サイトが移動したことはわかっていて、「お気に入り」の登録やリンクを変更してくれていると思う。
すでに移転したあとでも、昔のサイトに毎日200を超えるアクセスがあるのは、昔のサイトがあちこちにリンクされていたり、検索に引っかかるので、それでやってくる人が多いんだろうね。
これが、もっと減った時点で、「世界旅行者の部屋」を消してしまう予定です。
「世界旅行者の部屋」の内容は、すべて「新・世界旅行者の部屋」に移しましたから、「読み残したものがあるのではないか…」なんて、心配は要りませんよ♪
現時点でのまとめをしておくと、「みどくつFANくらぶ」の入会者数が、最近伸びている(今朝時点で397人)。
入会申請e-mailを見ると、多分どこかでまた、世界旅行者の存在が話題になっているのかもしれない(?)。
インターネットで話題になるということは、(インターネットでは他人のいい話は盛り上がらないので)悪口が書かれているってことだろう。
ただ、僕はインターネットの本質がよくわかっているので、ちっとも気にならない。
今週は、長崎で小学生の女の子が同級生を殺した事件の話題が盛り上がっている。
いまのところ、その動機が「インターネットのホームページで悪口を書かれたから」という報道があるよね。
小学生は、インターネットや人間というものをよくわかってないから、悪口を書かれたくらいで、怒っちゃうんだよなー。
本来、人間は、悪口、噂話をされるうちが華なんだから、喜ばなければいけないんだよ。
悪口を言うってことは、本当は好きだけれど、相手にされないそのヤキモチからなんだからね。
本当にイヤだったら、考えること自体を拒絶するものなので、悪口も言えないんだから…。
僕の著作を読めばわかるが、もともと日本人というものは、理想を持って他人のために尽くすなんてのは表面だけ。
セックスとお酒が大好きで、グータラで、やるべきことは先延ばしにする、他人の悪口が大好きな、しょーもないもの
なんだよ。
なぜズバリと断言できるかというと、僕自身がそういう人間だからね(笑)。
その自然な人間のあり方を認めていた江戸時代は、長屋の井戸端会議で、民衆はその人間本来の欲求を解消していたわけだ。
が、現在は共同の井戸というものが消滅し、また近所の銭湯や行きつけの床屋の人間関係もなくなったので、他人の噂話をする場所がなくなってしまった。
それで、テレビのワイドショーがその役割に取って代わって、芸能人の噂話、殺人事件の動機分析などをやってたわけだ。
ただ、それだと受け取るだけなので、発言する場所として、インターネットが井戸端、銭湯、床屋の代用になった。
ま、それだけの話なんだね。
人間というものがよくわかっている世界旅行者なんかになると、自分のサイトのアクセスが低下すると、わざと反発の多そうな発言を、ヤフーの掲示板なんかに書いて、人数をかき集めちゃうけどね(笑)。
でもさ、この小学生の殺人事件も、今週は盛り上がっても、来週になれば誰も覚えていない。
日本は、テレビも、新聞も、雑誌も、一斉に同じことを報道して、すぐに忘れてしまうので、この事件も、すぐに忘れられてしまう。
日本にいると、余計な情報がどんどん入ってきて、無駄に頭を使わせられてしまう。
だから、日本のマスコミの情報、インターネットの内容なんかは無視して、1人で英語の本でも読んでいるのが、知的にはいいだろうね。
と、世界旅行者は一ヶ月前に買って、まだ第一章までしか読んでいない「THE DA VINCI CODE (DAN BROWN)」を手に取りましたとさ♪
2004/06/09 「旧満州国感傷旅行」の読書リストをこちらへコピーしました。
その理由は、自分の読んだ本の検索をする時、一箇所にまとめておいた方が楽だから♪
「アジアの中の日本軍」 戦争責任と歴史学・歴史教育
笠原十九司(かさはら・とくし) 著
大月書店
2600円
1994年9月20日第一刷発行
この本は、「南京大虐殺」関連の著者の講演や論文をまとめたもの。
著者は、南京大虐殺はあったという立場に立ち、南京外虐殺が戦後の東京裁判まで日本国内で知られなかった理由、海外で報道された記録、その虐殺の報告者の状況などを調べ、南京大虐殺まぼろし説、虚構説に反駁している。
僕自身もいろんな本を読んできて、南京大虐殺といわれるものは、その人数の問題は別にして、確かにあったろうと思う。
死者数は、数万人から30万人の諸説があってまだ確定していない。
しかし、中国では何十万人の殺害などは、珍しくもなんともない。
ある調査によると、中華人民共和国が成立した後でも、大躍進での餓死者が2215万人、文化大革命では13万5000人が処刑され、172万8000人が異常な死を遂げたという。
日本でも、戦争の終結が見えたあとの、米軍による1945年3月10日の東京大空襲では10万人が死亡した。
さらに、広島への原爆投下で14万人、長崎への原爆投下で8万人の民間人が、米軍により虐殺されたわけだ。
第二次世界大戦での死者数は、中国が千数百万人、フィリピンが100万人以上、インドシナ(ベトナム)が200万人など、アジア全体では二千万人になると考えられている。
注)中国の死者数一千万人以上というのは中国政府の公式見解で、米国の調査では220万人となっている。
とすると、南京攻略戦の直後の混乱の中で、南京でもし十数万人が殺されたとしたって、その数字自体は特に驚くべき数字ではない。
しかし、「アジアの中の日本軍」を読んで、この南京大虐殺の特徴がやっとわかった。
日本軍は南京自体を実質的に封鎖し、外部からの連絡を絶ち、占領が3ヶ月も続いた。
その中で、日本軍は、継続的に、非戦闘員の、女性、老女、少女にたいして、その年齢に関係なく、無差別に強姦、殺人をやってたんだよ(涙)。
戦争中の強姦自体は、これは、米軍も、ソ連軍もやったことで、不思議なことではない。
問題は、日本軍は、強姦したあとで、その女性を殺していた。
その強姦自体も、変態的なセックスだったんだよ。
あまりに恥ずかしいので誰もはっきりとは言ってないが、「変態セックスの強要、強姦、輪姦、のあとで犠牲者の女性を虐殺する」、これが、南京事件の特徴なわけだ。
で、これに関連して、日本軍の慰安婦問題が出てくるんだよ。
慰安婦も結局は、日本軍兵士の強姦を止めさせるために募集させたわけだからね。
ここでわかるのは、日本軍、つまり日本人というのはとにかくセックス(しかも変態セックス)が大好きだってことなんだよ(涙)。
「日中十五年戦争史」 なぜ戦争は長期化したか
大杉一雄 著
中公新書(1280)
定価 900円
1996年1月25日 第一刷発行
1931年9月18日の柳条湖事件から、満州事変、満州国成立、日中戦争、太平洋戦争、そして1945年8月の敗戦までの15年間を、ひとつながりの戦争とみて、15年戦争と呼ぶことがある。
この本では、特に、1932年3月1日、満州国成立から後の、盧溝橋事件から始まる日本軍の華北侵略から始めて、南京事件までの日中の交渉の経過や、日本が戦争の拡大を止める可能性について、文献を紹介しながら、的確に論じている。
満州国は、現実的には国際社会が暗黙のうちにその存在を認めていた。
中華民国も内戦の最中で、日本との和平条件によっては、現実的に(正式ではないにしても)満州国を認める可能性はあった。
日本が中国への戦線拡大を止めるチャンスはたくさんあったが、それが現地陸軍の勝手な行動によって、次々に潰されていった。
また、日本政府もただ、流れるままに、後追いで陸軍の中国侵略を認めてしまった。
しかし、その中でも、状況を冷静に見て、日中戦争を止めて、軍を満州国にとどめて、ソビエトとの戦争に備えるべきだと考える人もいたし、日中の対等な関係を確立することを議論した人たちもいた。
この本では特に、一般に同情的に描かれている、広田弘毅や石原莞爾を痛烈に批判している。
広田弘毅は、城山三郎の「落日燃ゆ」で過大評価されているが、はっきり言うと優柔不断で、外務大臣のころから無責任、無能なダメ人間で、総理大臣になってからは、軍部の言いなりだった。
さらに、陸軍大臣の現役将官制度を復活させたのが、日本の命取りとなった。
つまり、東京裁判で文官ただ一人の死刑になったのも、ナットク。
石原莞爾は、満州国を作り、日中戦争に反対したことで、現在でも一部で高く評価されているが、もともとの米国を相手にする世界最終戦争論が日蓮宗の受け売りで、正常な人間ではなかった。
満州国を作り上げ地位が上がったために、陸軍の下克上の風潮を作ったことは、大きな罪である。
日本が日中和平を実現して、事実上、満州国を属国として、第二次世界大戦に参加せず、傍観者の立場でいれば、戦争に負けることも、アジア侵略も、悲劇的な敗戦もなかった。
フランコのスペインのように、戦争の部外者として振舞っていても、徐々に民主化する可能性も十分にあった。
この本は、もう一つの日本国のあり方として非常に示唆に富んでいる。
日中戦争を拡大せず、第二次世界大戦に参加しなければ、日本は徐々に、自分の力で民主化することが出来ただろう。
そうすれば、日本国は、もっとちゃんとした、自立した誇りを持てる国家となったかもしれない。
「軍閥興亡史」全3巻
1 日露戦争に勝つまで
2 昭和軍閥の形成まで
3 日米開戦に至るまで
伊藤正徳 著
光人社NF文庫
各743円
1998年8月15日 発行(オリジナルは1957年)
伊藤正徳(いとう・まさのり)は、明治22年(1889年)生まれ、昭和37年(1962年)没。
新聞記者、産経新聞主幹、日本新聞協会理事長、など日本の新聞関係の要職を歴任。
「第一級の海軍記者として活躍」したとか。
戦後、大東亜戦争を戦争を全否定する社会の中で、戦争関連のどを執筆した。
この本は、昭和32年(1957年)に、文藝春秋新社から単行本として出版されたものの文庫化。
さすがに新聞記者として、個人的に事件に関連した間や、事情を個人的に知っているものだから、書いていることに説得力がある。
亡くなってから40年たっても著作が再販されるのは、これだけのものは、今では絶対に書けないからだ。
僕はかなりの戦争関連本を読んできたが、戦争物の著作の面白いところは、いくら調べても、自分で体験していないと絶対に書けないこと。
ま、それは、海外旅行の本も同じだけどね。
だから、これからは、誰が戦争物を書いても、ウソっぽくなるわけで、この本などは、永遠に生き残るだろう。
この本は、日本陸軍を中心にして、その軍閥がどう成立し、その反発がどうあったか、軍が暴走して、それを止めるものがなく、ずるずると日米開戦に至るまでを、詳細に描いている。
特に、日中戦争で戦線を拡大していった事情、人間関係が、詳しく説明されているのが興味深い。
「日中十五年戦争史」は、戦後に文献を読んで解説した本だが、この本はその場にいてその人物を知っている著者が書いているので主観が入っているが、それがさらに興味深い。
結局、軍部官僚の出世争いが国を誤った、根本原因だというわけだ。
その、軍部は消滅したが、戦後も官僚体制はそのままで、軍事体制は日本の企業風土の中に生き続け、現在の日本を形成しているってわけだね。
「帝国陸軍の最後」全5巻
1 進攻篇
2 決戦篇
3 死闘篇
4 特攻篇
5 終末篇
伊藤正徳 著
光人社NF文庫
日本の戦史を語るに、伊藤の前に伊藤なく、伊藤の後に伊藤なしとうたわれた第一級のジャーナリストが、民族のために命令を奉じて出陣し、遠い外地で自らの尊い生命を犠牲にした百四十余万将兵をいたみ、大いなる熱情と衰しみと全精魂をかたむけて、いかに戦いいかに敗れたかを渾身の筆で書き遺した畢生の大作。 (楽天ブックスの紹介文)
伊藤正徳の「初版のまえがき」にも、
戦争を発起した少数の軍閥は憎んで余りあるけれども、その結果として自己の最高のものを抛(なげう)った百四十余万人の霊は、国民的に敬弔されねばならない。本書はそれを主要なる目的の一つとする。
とあるから、戦った兵士をほめまくることを目的にしているわけだ。
とにかく、戦争には負けたが、「よく戦った」「がんばった」と、称えるのが目的だから、批判的なことはほとんど書いてない。
ただ、この本を全部読むと、あまり一般的に知られていない日本陸軍の戦いが、いろいろあったことがわかる。
特に、中国戦線、ビルマ戦線、ニューギニア戦線、などの陸軍の戦いを全体として流れの中で知るには、この本しかないと思う。
ま、戦記を読んで、僕がいつも思うのは、立派な日本人はいたが、みんなあの戦争で死んでしまったんだ、ってことかな(涙)。
軍の指導層で、いさぎよい人はみんな死んでしまって、生き残ったのは、いさぎよくない汚い連中ばかりで、戦後のどさくさにまぎれて軍事物質をかっぱらったり、財宝を自分の懐に入れて、戦後金持ちになったり、それまでやらなくても、戦争責任をうやむやにして、軍人恩給もらって、のうのうと生きていて、彼らが戦後の日本を作ったんだからさ(涙)。
「1945年 満州進軍」 日ソ戦と毛沢東の戦略
1600円
徐焔(シュ・イェン)著、朱建栄(ツゥジェンロン)訳
三五館
1993年8月5日 初版発行
満州国崩壊後の、中国共産党の軍が満州を支配下に置くまでを書いたもの。
1945年8月9日、終戦直前に、ソ連軍は満州に進撃を開始した。
満州を支配していた関東軍は総崩れとなり、ソ連軍が満州を占領する。
しかし、1945年2月のヤルタ会談の秘密協定で、満州は蒋介石の国民党に渡されることが決まっていた。
毛沢東の中国共産党は、国民党軍よりも先に満州へ進むが、ソ連の立場は揺れ、必ずしも中国共産党を支持し続けたわけではなかった。
ソ連は満州国の莫大な工業施設や富をすべて持ち去った。
そのあと、中国共産党は、満州で国民党に勝利し、続いて、中国全土の支配権を握る。
満州に入ってきたソ連軍の規律が悪く、日本人に対してばかりか中国人への暴行略奪があった。
日本人は、軍隊には慰安婦が必要だとわかっていたので、日本軍の慰安婦をソ連軍向けに組織した。
ソ連軍兵士は日本人慰安婦に「すこぶる満足した」というのだから、テクニックが上手だったのだろう。
ソ連は降伏した日本軍兵士58万人をシベリアに抑留して、労働力として使役した。
そのうち、5万人から8万人が死亡した。
シベリア抑留者は、1950年までに日本に帰国した。
満州進出した国民党軍の幹部の中では、日本女性を妾(めかけ)にすることが流行した
ある軍団長は、日本女性を三人も妾にしていた。
1946年の時点で、満州に残っていた日本人は約130万人。
そのうち女性が70パーセントを占めた。
日本女性の多くは、生計を立てるために、中国人と結婚した。
そのカップルは、統計に上っただけで、10万組以上に達した。
国民党政府の規定では、「終戦前に結婚したものの本国送還は本人の意志を尊重するが、終戦後に結婚し、または同居した日本国籍の女性は本人の希望に関わらず、一律に本国に送還される事になっていた。そのため、十数万の日中間の短期間の夫婦は再び生き別れになった」とか。
ここでも、日本女性は一般の中国人男性にも大人気だったことが、わかるよね。
この本を読んでわかることは、日本女性は、ソ連軍兵士にも、国民党軍幹部にも、一般中国人にも、大人気だった。
それはやはり、セックスがよかったんだろうね。
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「哈爾賓物語」
杉山公子 著
地久館
3600円
1985年12月10日発行
1928年(昭和3年)にハルピンで生まれ、その地で1946年まで過ごした著者が、自分の愛するハルピンの成立と発展、そして敗戦による日本への帰還までを描いた本。
注)著者は「ハルビン」、漢字表記を「哈爾賓」と表記しているが、一般的な呼び名として「ハルピン」漢字表記を「哈爾濱」とする。
ウラジオストクが作られる(1862年)とすぐに、日本人が行って商売を始めた。
その中には、九州からの娼婦が多かった。
ハルピンはウラジオストックと満州里を結ぶ「東清鉄道」(後に東支鉄道)の中心として、1898年から松花江(スンガリー)河畔に、ロシアにより建設された。
東清鉄道は1901年に完成し、シベリア鉄道と結ばれた。
1902年には、ヨーロッパ行きの乗車券が発売された。
そのころの日本からヨーロッパまでの旅行の例(1908年)としては、敦賀からウラジオストクへ船(43時間)。
ウラジオストク〜ハルピン〜イルクーツク〜モスクワの鉄道(11日間)。
モスクワ〜パリ(3日間)。
他に、万国寝台会社(ワゴンリー)の列車も走っていた。
日露戦争(1904〜1905年)のポーツマス条約(1905)により、南満州鉄道支線のうち、長春〜旅順は日本に譲られた。
1909年10月26日朝、ハルピン駅の一番ホームで、安重根が伊藤博文を暗殺する。
1917年のロシア革命。
1931年9月18日、柳条湖事件をきっかけに満州事変勃発。
1932年3月1日、満州国成立。
1937年7月7日、盧溝橋事件から、日中戦争が始まる。
1938年7月、張鼓峰事件。
1939年5月、ノモンハン事件。
1945年8月9日、ロシア軍満州進攻。
1945年8月15日、終戦。
こういう歴史の荒波の中にありながら、ハルピンで商店を営んでいた著者の日常生活には直接的に大きな影響もなかった。
女学校を卒業して満鉄に勤務した著者は、戦後日本へ引き上げた。
ハルピンは大東亜戦争中もヨーロッパの香りを残し、ダンスホールや映画館、キャバレー、ホテル、洋菓子屋など、平穏な日々が過ぎていった。
著者は、特に、中央大街(中国大街、キタイスカヤ)の商店街地図などを挿入し、その時期のハルピンを懐かしんでいる。
現在では、僕が2003年9月に旅したように、ハルピンへも簡単に行って、長期滞在も可能なので、この本の地図を見ながら、中央大街を散策するのも、いいだろう。
ウラジオストクもハルピンも、作られた当初から日本人が大勢住み、様々な職業についていた。
しかし、戦争でその生活は、すべて失われてしまった。
これからはまた、ウラジオストクやハルピン、中国東北地方は、もっと旅がしやすくなり、日本との関係も密接になっていくだろうが、外国に住むというのは、非常なリスクを伴うことは、常に意識しておいた方がいいだろうね。
孫に語り伝える「満州」
坂本龍彦 著
岩波書店 岩波ジュニア新書296
640円
1998年1月20日 第一刷発行
日本人の武装移民団によって作られた、弥栄(いやさか)村、千振(ちぶり)村などの豊かな開拓村が、ソ連軍満州進入後、ソ連軍や現地民の襲撃にあった。
その中で、殺されたり、自殺した人が多かった。
また、ハルピンの収容所の環境も劣悪で、多くの人が病気や飢えでなくなった。
満州国の官吏や関東軍将校は、満州の日本人を見捨てて、われ先にと逃げ帰った。
日本国も、終戦後、残留日本人に対しての手当てをほとんどしてこなかった。
この本でわかるのは、一般民衆は体制から簡単に騙され、使い捨てにされ、見捨てられるってことね。
「満州国」見聞記 リットン調査団同行記
ハインリッヒ・シュネー 著、金森誠也 訳
1800円
新人物往来社
1988年11月20日 初版発行
リットン調査団のドイツ代表だったシュネー博士の、リットン調査団で旅をした見聞記。
読んでみても、特に新しい発見はない。
ただ、リットン調査団の調査中に、日本は、満州国を成立させるが、その雰囲気などが書いてある。
シュネー博士の言葉として
「今から百年前ならば、おそらく中国を征服して、ここに大帝国を建設することもできたかもしれない」とある。
つまり、満州国も、中国進出も、100年ほど時代遅れだったということだね。
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「鉄道ゲージが変えた現代史」 列車は国家権力を乗せて走る
井上勇一 著
中公新書992
600円
1990年11月25日初版
イギリスの鉄道のゲージは、標準軌(4フィート8インチ半=1435mm)。
ロシアの鉄道は広軌(5フィート=1520mm)。
日本の新幹線のゲージは、標準軌である。
ヨーロッパは、スペインとポルトガルを除いて、標準軌。
スペイン、ポルトガルは広軌だが、5フィート6インチ(1668mm)で、ロシアとは違っている。
シベリア鉄道のうち、中国国境(アムール川=黒竜江)沿いの鉄道建設が困難で距離も長いことから、ロシアはウラジオストックと満州里の間に、東清鉄道を建設し、シベリア鉄道と同じ広軌にした。
ハルピンの町は、この東清鉄道建設のために作られ、ここから東西に鉄道が伸びていった。
1903年にシベリア鉄道と東清鉄道、ウラジオストックが結ばれた。
同じく1903年に、ハルピンと旅順、大連を結ぶ東清鉄道南端支線が作られた。
この東清鉄道はすべて、シベリア鉄道と同じ広軌で作られた。
この結果、大連、旅順、ウラジオストック〜モスクワ間は、シベリア鉄道で2週間で結ばれた。
日露戦争、ポーツマス条約で、日本は東清鉄道南満支線の長春以南を譲渡を受け、その部分を標準軌とした。
1935年、東支鉄道の残りは全部満州国に売却され、満鉄に経営が任され、満州国内の鉄道軌道はすべて標準軌となった。
現在のシベリア鉄道は、ウラジオストックからハバロフスクを経由して、黒竜江沿いに走っている。
ウラジオストックからハルピンへの鉄道では、国境で列車を乗り換える必要があるが、それは、鉄道軌道が広軌から標準軌に変化するからなんだよね。
「石原莞爾 満州合衆国」 国家百年の夢を描いた将軍の真実
早瀬利之 著
光人社
1900円
2003年11月30日 初版発行
つい先日、地下鉄の網棚で見つけた漫画週刊誌に石原莞爾が出てくるものがあった(2003年12月)。
最近、また、石原莞爾のブームがあるのかもしれない。
石原莞爾については、僕の第二弾「これが正しい海外個人旅行」の中の「バンコクのキモチイイ生活」でも、ワールドトレードセンターの紀伊国屋書店で石原莞爾の「最終戦争論」が置いてある、と言及している(2000年7月)。
世界旅行者は常に時代の先端を行っていることが、ここからもわかるだろう。
石原莞爾は、満州国を成立させたその張本人だが、本人としては五族協和の満州国を考えていたという。
また、強力なソ連軍に対抗するために、日本軍の中国侵攻にも反対していた。
石原は理想の満州国の夢が破れて、職を退き、大東亜戦争中は田舎で田を耕してすごしていた。
戦後、米軍が尋問したが、堂々と申し開きをして、感心させたとか。
この本は、石原が理想的な満州国、つまり満州合衆国を理想としていたという話。
一つ興味深いのは、満州にユダヤ人を集めようと考えていたことを詳しく書いている点。
ただ、その時代の中では、満州合衆国自体が無理な話だったので、ちょっと石原を美化しすぎ。
万が一、満州国を成立させ、第二次世界大戦に加わらなかったとしても、逆に、満州問題が後を引き、フランスのアルジェリア問題のように内戦状態を引き起こしたりしただろう。
日本の軍閥が生き残っていたら、そこで満州処理が更なる問題を引き起こしていただろうから、ああならざるを得なかったのだと思うよ。
石原は東洋の代表としての大日本帝国と、西洋の代表としての米国との最終戦争を描いていて、そのための資源供給、軍事産業の基地として満州をとらえていたわけだ。
ただ、日本人にはそういう世界戦略や、植民地経営を考えるのはもともと無理なので、どうせ失敗しただろうとおもう。
日本人はもともと世界へ出て行くことがイヤで、日本に引きこもっていたい性質を持っている。
で、下手に海外へ出ると、変にあがってしまったり、気が大きくなったりして、変なことをしてしまう。
石原の世界最終戦総論も、ただの思いつきで、それが時流に乗って、影響力を持ったということではないか。
一つ興味深いのは、石原が陸軍大学の教官だった時代に、自分の考えを教壇で教えていたこと。
ということは、かなりいい加減な話をしても、だれもとがめなかったってことなんだろうか。
大東亜戦争を考えれば考えるほど、日本人というのは、戦争にむいていないと思うよ。
というのは、戦争とは、世界戦略がなければ、いくら局所の戦闘で勝っても仕方がないわけなんだけれど、日本軍には戦略思想が全く欠如していたからね。
「通化事件」内容
「通化事件」…”関東軍の反乱”と参謀 藤田実彦(ふじた・さねひこ)の最後
松原一枝(まつばら・かずえ) 著
チクマ秀版社
2381円
2003年8月8日 初版第一刷発行
「日本はなぜユダヤ人を迫害しなかったのか」 ナチス時代のハルビン・神戸・上海 →内容
ハインツ・E・マウル 著 (黒川剛 訳)
芙蓉書房出版
2004年1月20日 第一刷発行
1800円
この本では、満州でユダヤ人を集めた大会を開いたのは、石原莞爾ではない。
関東軍の樋口季一郎が中心となって極東ユダヤ民族大会を支援したと書いてある。
でもまあ、関東軍がユダヤ人の力を、戦争の役に立てようと考えていたことはあるみたいだね。
2004/06/11 世界旅行者、IP電話を使って、無料でチョー美人と2時間話をする。
今週始めに、ADSLの会社を変えた。
その理由は、インターネットもあんまり役に立たないし、面白くないので、いろんな契約を解約し、縮小段階に入ったってことなんだよね。
このまえケータイを解約したのと一緒かな。
で、ケータイを解約したら、ケータイがあった方がいい状況がポツポツ出てきて、「ま、世の中ってそういうものね」と、ナットクしてしまったりして…。
ところで、キャンペーンもあることだしと、ADSLを新しく契約したらIP電話がくっついていた。
しかし、自分からIP電話をかけるのは大丈夫だが、外部から僕のIP電話にかけると1、2回ベルが鳴っただけで、切れてしまう。
その問題で、昨日、プロバイダーのサポートとずいぶん話をしたよ。
でも、やっぱり、確かに、@niftyはサポートがよくないね。
とにかく、サポートに手を抜いていて、もともと人数が少ないのだろう、つながったら奇跡なんだから…。
これは普通の人は途中で諦めるように仕掛けてあるわけだよ。
ま、世界旅行者は朝から晩まで意地でもつなげるし、待たされても、何時間でも待つけどね(笑)。
でも、よく考えてみると、僕がIP電話を使って、他の人のIP電話にかけるとき無料になるという点では、なんの問題もない。
他の人が僕に無料通話しようとしても、できないというだけなんだよ。
つまり、「他人が無料で僕にIP電話をかけられない」というだけなので、それは僕には関係ない話だ。
だって、僕自身、電話に出ること自体がイヤなので、常に「居留守番電話」状態なんだからね。
以前は、電話がかかってきたら、ギャグを言ったり、人生相談に乗ったり、とにかく受けを狙いの芸をやってたので、疲れてしまったんだ。
本気で自分の電話を、(いまは流行らなくなった)「ダイヤルQ2」にして、僕に電話をかけて話をする人から金を取ろうかと思ったくらいなんだから…。
今日は、IP電話をかける練習も兼ねて、僕の友人の超美人と、2時間くらい話をした。
友達とじっくり話をすると、頭が回るので、自分のことがよくわかるよね。
今日の話でわかったことは、「世界旅行者はとにかくサービス精神があるので、女の子におごったりしたいのだが、お金がないので、お金のかわりにセックスをしてあげると言っている」ってことだった。
もちろん、これはウソだけどね(笑)。
また、「本を出したい出したいといいながら、実は、書くのが面倒」という結論もあったみたいだが、これは多分当たってるけど、それを言うと、まずいのでナイショです。
2004/06/12 いまちょっとお笑いブームらしいので、メモっておきます。
最近、また新しいお笑いブームが来ているみたい。
でも、いつまた、あっという間に消えてしまうかわからない。
そこで、2004年前半に起きたお笑いブームについて、メモっておきます。
これは、多分、NTV土曜日の「エンタの神様」という適当な番組が、たまたまお笑いをやったらウケてしまった(それしかなかった)ことから始まってる気がする。
最近は、モノマネ得意なテレ朝が金曜日に「笑いの金メダル」をやって、それもそれなりに目立っている。
昨日はTBSが、特番みたいなものを組んで「お笑いネタの大辞典!」という2時間番組をやった。
これは、いかにもヨルダン空港の爆殺記者記者・五味宏基が勤務していた毎日新聞系列のTBSらしく、かなり勘違いして、全くわかってない人が作ったので、完全にハズした番組だったけどね。
ということは、各テレビ局が同じようなことをやるに決まっているので、多分惰性でだらだらと2004年の年末くらいまで、(面白くなくなっても)同じような状況が続くだろう。
今度のブームの特徴は、1人の芸人が多いこと。
しかも、テレビに出演する「芸能人のあら捜し、悪口ネタ」が多い。
これは、日本の社会全体に、テレビ番組しか共通の話題がないという日本の文化状況の貧困さのあらわれだね(涙)。
ただ、いくら均一社会の日本だからといって、特徴がなければお笑いは売れないから、その取り上げ方で、いろいろ違っている(ま、ほとんど人のモノマネというタイプもあるけどね)。
だから、僕が面白いと思う、気になる、芸人さんもいるよ。
昔あるテレビ局勤務の美女と、彼女のオゴリでデートをしていた時、「同じところで笑えれば、二人はうまくやっていけるんだって」と、お笑いのライブに誘われて、口説かれたことがあった。
ただ、僕は「世界旅行主義」から「セックスが合うのが一番だね」と思っていた。
結局、2人が付き合うにはお笑いが大切か、セックスが大切か、というそれ以前のところで意見が食い違っていたので、進展がなかったが…。
でもまあ、そういう意見もあるわけだから、お笑いの趣味が一致すれば、キミも世界旅行者先生様の友達や恋人になる資格が得られるかもわからないよ。
世界旅行者先生が気になっているのが、まず「猫ひろし」。
猫ひろしは、客のことは無視して突っ走る。
数年前ならば、芸人の名前を言っても、情報が全く入らなかった。
しかし、現在のインターネットのいいところは、その芸まで見えるところかな。
「猫ひろし」で検索すると、いまはまだ、ライブの映像が見られる。

http://brst.tv/new_prof/71neko.php
また、最初に見たときは全く面白くなかった「カンニング」という漫才師もいる。
しかし、あちこちに出てくるので、その芸に慣れてくると、けっこう笑えるものだ。
これも、「カンニング」で検索したら、ライブ(ではなくて、ネタ)の映像を発見した。

http://www.zakzak.co.jp/wara/team/07_a.html
でもカンニングのネタは、2002年7月に、つまり二年前に録画したものらしい。
ということは、あのハチャメチャギャグ、ヤケッパチギャグは、何年もかけて出来上がったものなんだよ。
もう一つ、カンニングは福岡県出身で、福岡県の訛りで話している。
また、他のお笑い芸人も、いまは、わざと出身地の訛りを表に出しているよね。
これは、一つの新しい流れなんじゃないかな。
これが本当に、今までの日本のすべてのように画一化されたパタンからはなれて、世界標準の、自分なりの個性で勝負すると言う意味ならば、面白いかもしれない。
そうならば、世界旅行者の本格的ブレイクの日も近いだろう♪
2004/06/14 新しいコンセプトのサイトを作っても、BLOGも、日本人自体が面白くないので、面白くなることはない。
いま僕が感じているのは、日本のインターネットがもう一つ曲がり角に来ているってこと。
6月始めに、一週間くらいADSLが使えない状況があって、ダイアルアップでつないだら、けっこう時間をつかって、つまり電話代がかかってしまった(涙)。
その理由は、インターネットが面白いからではなくて、あまりにつまらなかったから。
それで逆に、面白いところがないかと、あちこち心当たりをチェックしているうちに、時間がかかったってだけなんだよなー。
で、ADSLが使えるようになって、また定額接続になると、やはり読むところがないのを再確認した。
僕は正直、e-mailはけっこうもらうんだけど、読んで役に立つ、読む価値のあるものはほとんどない(きれいな女の子からのメールは常に大歓迎ですけどね♪)。
いま、普通の人間関係を持っている人たちは、だいたい午前中はメールチェックで潰れてしまうようだが、ほとんどはどうでもいいメールだ。
不要なメールを選んで、それを消すのに時間がかかる。
いっそのこと、メールを止めてしまった方が仕事の能率は上がる、という話が多いよね。
インターネットのサイトも、ニュースサイトはまあチェックするが、テレビのニュースを見ればわざわざインターネットで読む必要はないよね。
もちろん、テレビがなくても、ラジオがあればニュースは知ることができる。
でももっと言うと、もともとニュースなんて、知る必要はないんだよ。
僕は世界一周旅行中の2年8カ月間、日本のニュースは(ロサンジェルスにいたとき以外)ほとんど見なかった。
僕が世界一周中に読んでいた、世界中で売っている、権威ある英字新聞「International Herald Tribune」にしても、日本のニュースはほとんど載らなかったしね。
つまり、日本のニュースなんて、知らなくても問題ない、知るだけ時間の無駄っていうものなんだよ(涙)。
日本のインターネット参加者は、まともな人間が少なくて、小学生、中学生が多いのだが、インターネットの掲示板などでは、誰が書いているのかわからないので、書かれた情報の信用性がない。
(もちろん、日本人は情報を隠して溜め込む癖があるので、公開された情報自体が信用できない)
そこで最近、個人の人間関係をたどって、そのつながりで一つのサイトを作ろうというアイディアが生まれたようだ。
それが「グリー」http://www.gree.jp/ということろ。
なんでも、慶大藤沢SFCから始まったらしく、知人だけを招待するカタチで広げるのだとか。
僕を誘ってくれたのは、インターネット界ではチョー有名な橘川幸夫さんだ(インターネットで名前を検索かければすぐわかります)。
僕がニフティで、社会性のない話の面白くない頭の悪い連中から虐められていた(笑)とき、メディアマンズフォーラムのシスオペとして、僕を認めて、掲示板を一つくれた、僕も何度もあったことのある、立派な人だね♪
「グリー」に招待していただいたのは、感謝している。
しかし、この「グリー」が、役に立つかと言うと、それは全く別だね。
「グリー」参加者のレベルは、ほとんどが慶応、早大、東大など、一流大学卒の人なんだ(もちろん僕は京大卒なんだけれどね)。
問題は、日本人というのは、学歴があってもなくても、正直、学歴があるほど、頭が固くて、話が面白くないってこと。
僕の経験でも、一流大学卒業ほど、話が面白くなく、頭が悪かった。
それでは学歴がなければいいかというと、日本人なんて、一部の人を除いては、ほとんどはただのバカなんだから、困るよね(涙)。
ま、日本人には、もともとろくなやつはいないんだよ。
だから、どんなカテゴリーで参加者を選ぼうとしても、日本人を集める以上、ダメになるに決まってるわけだ。
ただ、「グリー」で紹介しているBLOGの日記があって、僕も興味を持っていたので、「はてな」http://d.hatena.ne.jp/に、「世界旅行者日記」http://d.hatena.ne.jp/worldtraveller/ を、作ってみました。
で、この日記サイトの他の書き込みをチェックしたが、全く面白くない。
日本人の一番ダメなところは、話が面白くないってこと。
話の面白くない日本人の日本語で書かれた日記なんて、おそらく、まともな人間は読まないだろうね(涙)。
読むとしたら、同じサイトで日記を書いている人が、念のために他のサイトをチェックするだけだ。
ま、僕がちょっとやったみたいにね。
だから、世界では相手にされない。
でも僕のサイトは読まれるだろう。
なぜなら、普通の退屈な日本人が書いているのではなくて、なにしろ世界旅行者が書いているのだから、どんなとんでもないことを書くかわからない。
どんなとんでもないところへのリンクを、面白いからと、貼っちゃうかもしれないんだから(笑)。
ま、そんなドキドキ感があるから、世界旅行者は人気があるんだけどね♪
まあ僕としては、「グリー」にしても「はてな」にしても、そのサイト自体が、いずれダメになるとわかっていても、どうでもいい。
それを利用して、自分の名前が少しでも多く売れれば、そのなかの100人に1人ぐらいは必ずまともな頭の人がいて、僕のファンになるので、損はないんだよね(笑)。
2004/06/19 ブログをいろいろ試してみたら、いまのところ、「はてな」が使いやすいようです。
ブログの噂が出てくれば、ブログを試してみる。
ブログをとにかく作ってみて、それからちょっとだけ考える(しかし、深くは考えない)。
それが、世界旅行者のやり方だ。
で、ブログについて考えた後で、「はてなダイアリー」「世界旅行者で〜す♪」を作って、書き込んでみた。
すると、いろんな特徴を見つけた。
「はてな」だと。
1)一度書いた日記(文章)を、簡単に編集しなおすことができる。
2)一日に一枚、画像を登録できる。
  しかも、その画像が、自動的に小さくなる(6〜7KB程度)ので、自分で画像を縮小する必要がない。
  例えば、500KB程度の画像をアップすると、自動的に7KBになる。
  小さい画像は、確かに見にくいが、逆に、パクられて勝手に利用される心配がない(笑)。
3)どこからアクセスしたか、アクセス元がチェックできる。
  これは、普通は、cgiを使ったものを、自分のサイトにくっつけたりしなければならない。
  それなしで、簡単にアクセス数やアクセス元、さらには、どういう言葉で検索したのか(「はてな」の中だけだけどね)がわかる。
  どこかで紹介をすると、すぐにそこからのアクセス数が増加するので、なかなか面白いよ。
で、「はてな」の他はどうなのか、同じようなものなのか、チェックしてみたら。
楽天広場では、画像が登録できないようだ。
ライブドアblogは、画像は登録できるが、あとから文章の修正ができないみたい。
@niftyのココログは、画像が登録できず、文章の修正が効かないようだ。
あと、マイプロフィールというのは、ちょっと方向性を間違っていて、先はないような気がする。
というわけで、いまのところ「はてな」が、利用しやすい。
文字も大きくて、読みやすく、無駄なところがなくて、スッキリしている♪
ただ、多分、無料で使える量は、制限があるような気がする。
「はてな」は、情報のやりとりに対して金を取るのが基本的な考え方みたいだからね。
というのが、「はてな」自体が、はてなのトップページを見ると、質問をして答えて、そのやり取りに、質問した人がポイント(=お金)を払い、答えた人がポイントを受け取るというシステムだからだね。
これは基本的に正しいと思うよ。
情報のやり取りは、そこに利益が絡んでいる。
例えば、海外旅行の掲示板で、誰かの質問に対して、誰かが答えるということは、答えた人が「自分は海外旅行について他の人よりも知っている」という優越感を与えるわけだね。
優越感は、一つの利益なんだから。
しかし、そうなると、「もともと優越感を持てない人が、優越感を持つために、知らないことまでも答えてしまう」ということになるだろう。
これが、日本のすべての掲示板がダメになっていく原因なんだよ。
僕は「地球の歩き方」掲示板に書いたりしているが、面白い発見として、「はてな」でアクセスログをチェックすると、「地球の歩き方」の書き込みから来る人は少ない。
一番多いのは、すっかりダメになったと思っていた「ヤフーの掲示板」からなんだ!
これは、かなりびっくりしました♪
ま、そういう話はまた別に考えることにして、いまのところは、「はてな」のBLOGが、一番簡単で使いやすいという報告でした。
注)「はてな」のトップページの質問と回答を読んでみたら、ほとんど役に立ってない。
   というか、「回答が期待はずれだ」という文句だらけだ。
   これは失敗だね。
   日本人の持つ知識、知的レベルはだいたい同じなので、人に聞いてもたいした情報は得られないって事かな。
   それに、情報に対する料金が安すぎるしね。
   ということは、「はてな」には、明るい見通しがないってことじゃないか(涙)。
   正直、はてなのBLOGは、使いやすいが結局
ただの日記でしかないんだよね(もともと日記サイトだったみたいだし…)。
   BLOGというのは、コメントをつけたり、情報をリンクできるところが本質なんだろう。
   でも、みんな同じ情報を持ち、みんな同じ考えを持つ日本で、そんなことはできないんじゃないか?
   意味ないんじゃないか。
   日本では、BLOGは存在し得ないんじゃないか。
   それが、いまのところの結論だね。(2004/06/20記)
2004/06/22 「みどくつFANくらぶ」参加者が400人になりました。
「みどくつFANくらぶ」の参加者が昨日400人になりました。
2004/06/22 「新・世界旅行者の部屋」77万7777番目の美人女子大生さんとは、特別に、タダでお付き合いします♪
「新・世界旅行者の部屋」は、順調に77万アクセスを突破しました。
それを記念して、77万7777番目の美人女子大生さんとは、特別に無料で、お付き合いすることにしました。
77万7777番目の人は、e-mailを送って、ください。
残念ながら女子大生さんでない場合、美人人妻さん、美人スチワーデスさん、美人OLさんの場合は、特別料金の相談をしますので、諦めずにご連絡ください。
また、別に、77万7777番目でなくても、ちっともかまいませんから、よろしくね♪