インド旅行ルートをちょっと考える。ガンガ近くの商店街を歩いて、女の子がサリーを買ったので、僕も買って、嫁さんに送った。@バラナシ/インド
ネパールのポカラからスノウリ経由で、バスに乗って、バラナシに着いた。
バラナシでは、ツーリストバンガローに宿を決める
翌日には、ガンガモーニングツアーに参加し、一度宿に戻った後、一人でガンガに行って沐浴した。
バラナシが、ガンガを見るものならば(実際にそうんだけどね)、最初にガンガを見るのはいい考えだった。
さらに、ダシャーシュワメードガートで水に浸かった(沐浴した)。
ガンガの水を浴びたことで、目的は終了したことになる。
でも、急いで移動することはない。
この時代(1984-1985年)のインド旅行は、短くても1か月、普通は2〜3か月だった。
もちろん、もっと長く滞在する人も普通にいる。
ツアー以外「では、長期旅行が普通だったわけで、いま(2013年)のように、個人旅行で一週間などという旅は、考えられなかったんだ。
また、長期旅行だからこそ、いろんな出会いもあり、現地でいろいろ考えて、旅のルートを考えるのが、当たり前ね。
だから僕も落ち着いて、これからのインド旅行のことを、軽く考えて、みよう。
ま、軽く考えるだけで、別に決めるわけでもないからね。
それに、旅に出たとき、ある日になにをするかは、その日になって考えるのが原則。
でも、旅の日程について、ぼんやりしたアイディアは、もっておいた方がいい。
旅のことは、旅の中の出来事で、コロッと変わるわけだが、それもまた許容するような、あいまいな考え方。
さて、いまバラナシにいるという意味は、もちろんこれからバラナシを出て、インド旅行をするためだ。
そのだいたいのルートを考えておきたい。
それによって、バラナシの次にどこへ行くのかが決まり、列車の切符をどう手配するかも決まるのだから。
僕は、ネパールのポカラからインドのバラナシへ、バスでやってきた。
このルートは今でも、ネパールとインドを結ぶ陸路のメインルートだ。
僕はこれから、バラナシから、デリー方面に向かう。
デリーまで行って、それから、インド西海岸を南下して行く。
インドの西海岸をムンバイ、ゴア、それから次々と町に寄りながら南下する。
インド亜大陸の南端、コモリン岬(カンニャクマリ)まで行く。
そのあと、スリランカに飛ぶつもり。
もちろん、時間が余れば、東海岸を北上して、コルカタへ行ってもいいが、そこまでの時間はないだろうし、インドに対する執着もない。
だからさしあたり、次は、デリーへ行く。
そのルートだが、バラナシからデリーまで、一気に夜行寝台列車で移動することもできる。
ただ、このときはまだ僕は、インドの列車に乗ったことがなかった。
インドの鉄道については、いろんな悪いウワサを聞いていたので、あくまで慎重な僕は、徐々に身体を慣らしていくつもり。
地図を見ると、バラナシとデリーの間には、タージマハルで有名なアグラがある。
しかし、バラナシからアグラへ移動するには、12時間以上かかり、夜行列車になる。
これは、僕としては恐怖なので、避けたいね。
正直、いま(2013年)の旅行者は、僕よりもずっと度胸があるよ。
一週間程度の短期の旅行で、インドに飛び込んでいくんだから。
だから、騙されたり、強姦されたり、行方不明になったりしているんだけど。
バラナシからアグラまで鉄道で行くのが大変だとしたら、どうすればいいか。
バラナシから、アグラへ行かなければいい(笑)。
バラナシとアグラの間には、カジュラホという町がある。
ここは、なにやら、エッチな彫刻が彫られた寺院で有名らしい。
それなら、是非行きたいし、また昼間の移動だけで、列車とバスを乗り継げば、行けるようだ。
つまり、インドの夜行列車に乗らずにすむ。
また、カジュラホからアグラまでも、これなら、昼間移動できるだろう。
これはとてもいい考えだが(そう思いませんか?)、でも、バラナシからカジュラホへの鉄道駅サトナまで列車に乗る。
その切符を入手しなければならない。
ところが噂では、「インドの鉄道切符を買うのが一苦労」という話がある。
実はこれは嘘だったんだけどね。
僕はこの1984-1985の旅でも、これから、鉄道に乗るし、2005年、2007年のインド旅行でも、鉄道に乗った。
でも、このバラナシからサトナまでの切符以外は、全部自分で買った。
わかりにくいところはあったが、わかってしまえば簡単だ。
インドについては、いろんな噂があるが、悪い噂は、いい加減な話が広まっているだけで、実際は、難しくはないんだ。
確かに、インドのシステムは、親切にはできてない。
だが僕は、このとき、インドが初めてで、バラナシにいるだけ。
だから、とにかく安全第一にやるつもり。
泊まっているツーリストバンガローは、バラナシ駅(VARANASI JUNCTION)のすぐ近くなので、駅まで歩いていってみた。
行くと、駅には、インド人がたくさんいるし、ちょっと見には、様子がわからない。
そこでカンタンに、「インドの鉄道切符を取るのが難しいなら、旅行代理店に頼んで取ってもらおう」と考える。
でもまだ、お願いしたりはしない。
一緒に来た日本人カップルと相談して、もし彼らが、一緒に行くなら、一緒にカジュラホへ行ってもいいわけだしね。
駅から戻ると、カップルを見つけて話をする。
彼らは、もともとリシュケシュへ行って、修行?をするのが目的なので、カジュラホへは行かないそうだ。
それはそれでいい。
彼らとは、バラナシで別れることになるが、ちょうどよかった。
ネパールから一緒のバスでやってきて、バラナシの宿も一緒で、いろいろ気軽に相談できた。
正直、海外旅行というのは、出会う人によって、全く印象が変わってくるからね。
バラナシで、この感じのいい日本人カップルと助け合えた(向こうも、僕がいて心強かっただろうし)のは、ラッキーだった。
3人で、ガンガ近くへ行ってみる。
いろんな商店をみて歩くのも楽しい。
これはやはり、数人いた方が、適当なことを言い合えるので、楽しい。
僕は基本的には、お土産とか、記念品は買わない。
女の子がサリーを買うと言い出して、暇つぶしに付き合う。
自分で買い物はしなくても、人の買い物に付き合うのは、楽しいからね。
女の子は、サリーを身体に合わせたりして、僕たち2人が、あれがいいこれがいいと、適当なことを言う。
そのうちに、値段も安かったので、僕も急にサリーを買いたくなった。
この時は、まだ結婚していたので、嫁さんに買えばいい。
ただ、インドから安いサリーを送っても、着方がわからないだろうし、迷惑だろう。
と思ったが、サリーを買いたい気持ちが勝って、うっかり買ってしまった。
はっきりと記憶してないが、このあと、バラナシの郵便局から、嫁さんの実家に送ったはずだ。
その夜、3人で食事をしたあと、女の子がサリー姿を披露してくれた。
サリーはきれいだったが、僕が覚えているのが、女の子が口紅を差していたこと。
その赤い口紅が、あまり似合わないと思った。
僕は基本的に、お化粧した女性というのが、好きじゃないんだよね。
ま、それはどうでもいいことですが。
つまり、ポカラから一緒だったカップルとは、バラナシで別れることに決定。
僕は、カジュラホへ行くことに決めたが、まだバラナシ近くには、見るべきものがあるらしい。
例えば、サルナート。
まあ、時間はあるので、ぼちぼち考えましょう。
サトナまでの列車の切符を、旅行代理店に頼んだのは、このころだと思う。
ここで軽いトラブルが起きるので、お楽しみに。